アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
建築家にはいろいろなタイプがあると日頃から思っています。今日は私なりの建築の考え方や設計の進め方を、「新潟市民芸術文化会館」を通じてお話したいと思います。新潟市民芸術文化会館は公開コンペティションで設計することが決まった作品です。
二年ぐらい設計に費やしました。そして三年半ほどの工期を経てこの十月二十二日にオープンします。1995年の「藤沢市湘南台文化センター」のコンペティション以来、文化施設をつくり、公共建築を考えてきました。私は建築を住宅から始めましたが、どのように建築があったらいいかという模素は今も続いています。
建築は建築家だけの世界にあるものではなく、それはいろいろなことと関係する中でさまざまなこととリンクしながら成立していることはだれでもわかっていますが、そのことをひも解いていくことはなかなかたいへんです。私は自分の考えだけで押し進んでしまうことの危険をいつも感じてきました。住宅のときも、クライアントとの共同設計であると宣言して、できるだけたくさんのディスカッションをしてきました。しかし、人間は多くの欲望を持っていますから、そうしたものに振り回されるような結果になることもありました。そういった経験の中で、公共建築がどうあるべきかについて前々から考えていました。建築家の作品性を優先してつくるのではない方法はあるものかと、住宅同様つくる側の論理ではなく、使う側の論理でつくりたいと模素しつづけてきました。
湘南台文化センターで初めての公共建築を手にしたとき、いかにその考え方を公表し、利用する人たちと対話できるかについてずいぶん悩みました。地鎮祭のあいさつで、そこにあるかたちだけが建築ではなく、つくっていきさらに使用していくプロセスを重要視していきたいと話しました。その結果、利用者とのやり取りを百回ほど経験できました。建築をどのように公開していけばよいのか、あるいは自分の考えと相手の考えをどのようにしてぶつけていけばよいか考え利用者と対話し意見交換していくことをいろいろな方法で試みてきました。
ところが、「新潟市民芸術文化会館」のコンペ案が公開されると同時に、市民の人たちからたくさんの意見が出てきました。行政は、十年がかりで進めてきた企画でずいぶん前に公表してある、の一点張りでした。どうして二千人も入るホールをつくるのかについてその後振り回されました。その間も市民の方々は、行政に異議申し立てをしました。私は意見がある人はできるだけ会話をする方向にもっていくよう心がけました。一部の代表者の意見だけを聞いて進めると、批判の種が生まれるという繰り返しになります。しかし、湘南台文化センターのときとは違い、なかなか固い行政と渡り歩かなければなりませんでした。
意見を聞くことによっていろいろなことを学ぶことができるし、私の考えも伝達できるので、建築をつくるプロセスでコミュニケーションは欠かすことができません。