アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
公共の場所であるウォーターフロントが、日本の近代化や工業化を進める中で私たちの日常生活の場からとても遠い場所になってしまって、視線も届かないようになりつつあります。しかしお台場のようにウォーターフロント開発をすると人が来ますし、横浜にもお台場のようなシーサイドマリーナができ、ショッピングしながら海を見ることの嬉しさがあって、ヨットハーバーのほうを眺めて食事をすることで大勢の人を今集めています。
私たちの国は島です。島の寄り集まりでできていて、本土には高い山があり、富山などに飛行機で飛んでいくと、河川が滝のように流れているし、また屋久島のような水の島といえる風景もあります。開けた海と川のエッジのところを開発して人びとは住んでいます。かつて新潟で見たように、ウォーターフロントは豊かであって、浮き上がるような揺らぎの中に人びとがいて、遊ぶことも生きる浮き世にはとても美しさがありました。しかし日本の戦後社会は、国のもっている地形の豊かさを維持することよりも、そうしたところを埋め立てて利用し工業化を図ってきて、人ぴとの生活からずいぶんとウォーターフロントを遠のけてしまいました。
私にとってのウォーターフロントはフリースペースであって、フレキシビリティーな活動が許されていた場所という概念が子供心にありました。日本のウォーターフロントの開発はもっともっと海を利用してエッジの美しさはこわすべきではなかったと話してきました。
あるとき、横浜の第二港湾の局長さんと対談する機会がありまして、私の考えていることが面自いので、これからのウォーターフロントのあり方を大急ぎで変えなければいけない時期であるから、どうあったらいいか研究会をつくってくれといわれました。私は自分たちの世代よりもっと下の人たちが、実感をもって提案をしていったほうがいいのではないかと思いました。例えば、国の仕事だからあまり予算が出ないので、次の世代を担う若い大学の先生たちに参加してもらって、東京湾や横浜や大阪湾をケーススタディーとして選んで、ウォーターフロントのあり方についての勉強会をすることです。
運輸省の人たちは、建築家が提案する場合には、建築をつくっていく同じプロセスで模型を作成しました。コンサルの人たちのパース表現に対して興味をもたれました。それを一部の人たちに展示したところ好評で、関係者が、もっと積極的に外でも見せたほうがいいということになって、今年の春にTNプローブで展示会を開きました。もっと早く開くこともできたのですが、昨年中、私がずっと外国の展覧会をツアーしていて余裕がなく、今年の五月頃に開きました。そのときショックだったのは、建築のシンポジウムの場合、建築家が集まるだけなのに、ウォーターフロントのことを扱うと、文学関係の人や新聞社の人やいろいろな方面の方がいらっしやるということです。一週間だけの展示だったのですが、たいへん大勢の方に見ていただけました。そして本も出版しました。ニューウェイブ・オブ・ウォーターフロント・プロセスシティ』です。