アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
このような問題を考え始めたのは、1995年にせんだいメディアテークのコンペティションで設計者に選ばれてから竣工にいたる六年間のプロセスの中ででした。 ここでは、チューブと呼んでいるストラクチャーのシステムを提示しました。コンペティションの際にはストラクチャーができるだけ表に出ない、光のチューブのようなもので、重さを感じさせないものとして考えていました。ところが実際に現場が始まって、そこで見たチューブは、それとはおよそ縁遠い、力を感じさせる鉄そのものでした。それをいったい自分でどう受け止めたらいいのか、そこから思考が始まりました。当初、地元の人たちからチューブは邪魔だから止めろと批判されました。しかし建ち上がっていくにつれ、その声は変わっていきました。市民の方が現場を訪れたわけではありませんが、役所や施工の人たちがチューブをつくること、鉄板の床をつくることに対して「これは俺がつくっているんだ」という気持ちを抱いてくれるようになりました。つまり、つくることを共有できるようになった。それが目に見えるようになるにしたがって、僕にとっては鉄のチューブを光のチューブに変えていくことはどうでもいいことになってしまったのです。それを共有してくれる喜びに比べたら、たいした問題ではないと思うようになりました。
オープンしてまもなく三年になりますが、使う人たちが楽しんでくれています。オープン当時は、人びとがこの建築に相当戸惑うのではないかと思ったのですが、実際、まるで公園の中を散策するように、大人も高齢者も子どももこの建築を自由に使ってくれています。お年寄りがパソコン教室のレッスンを受けている隣で、子どもがビデオを見ていたりします。この壁の少ない建築を楽しんでくれる様子を見て、今の不自由で管理ばかりされている社会の中でも僕たちにできることがもっとあるのではないか、それをいろんな人びとといっしょにつくつていくことができるのではないかと思いました。コミュニティをつくるために建築をつくるのだとよくいわれますが、実際には建築をつくることによってコミュニティ空間ができるのではなくて、建築をつくつていくこと自体がコミュニケーションで、そのコミュニケーションにこそコミュニティ空間があるのだということをせんだいメディアテークのプロセスを通じて感じるようになりました。それ以後、自由を求めるため、あるいは一緒に共感をもってつくっていくためには、従来になかったある新しさをもち込むことが必要だと思いました。新しいことに向かうことが、自由を得たり共感を得たりすることにとっていちばんの武器だと勇気づけられました。