アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
いろいろあります。能は僕が建築を考えるに当たってひとつのモデルになっているものです。能の研究者の土屋恵一郎さんが書いておられる本を読んで頂くとよくわかっていただけると思いますが、能は三間四方の正方形のステージに橋がかりがついていて、非常に抽象的なものです。後ろ側に松の絵がありますが、役者がいなければ何もないヴォイドの空間があるだけです。
歌舞伎とはまったく違う。そこに能役者が能面をつけて舞う。面を被ることによって視野が非常に狭まってほんとにわずかなところしか見えないし、舞う姿勢も腰を落として無理のある姿勢で、かつそれを連続的にゆっくりと動かしていくという不安定さがある。視覚的に不安な上に、不安定な姿勢をとる。不安定な身体をあえてつくり出してそれが流動的な空間を生み出すのです。能役者が不安定さによって舞を舞ったときに初めてそこに能の空間が開かれていく、その流動感が僕のイメージの中にはいつもあります。
土屋さんは著書の中で、かつて観世寿夫という天才的な能役者がジャン・ルイ・バロウというフランスの役者とふたりで競演したときに、観世さんが舞うと空間が無限に広がっていくような印象を受けた、それに対してジャン・ルイ・バロウは鍛え上げられたすばらしい身体だけど、自己という自分の身体以上の広がりをもち得なかったのではないかということを書いておられました。デ・コンストラクションに代表されるようにヨーロッパの建築家が不安定なものを組み合わせながら建築を構築しようとしましたが、僕はそういう空間には流動性を感じないし、個人の形態から離れられないように思います。僕は観世さんが舞ったような、無限に拡張されるような空間をイメージしながら建築をつくつています。
もうひとつは自分の話している日本語の空間です。武満さんの音楽にもよく現れていると思いますが、全体がはっきりした形式によって構造づけられていなくて、言葉が宙に浮かんでいて、それが余白をつくりながら次の言葉を探し出していくような空間にとても興味をもっています。
基本的に自分の中にイメージする空間はあります。それは言語や音楽の空間であったり、そういうものを通じて見えてくる建築を超えた空間です。その上でウォーターツリーのようなものがなぜ出てきたかかというと、スタイルの問題ではなくて、事務所のスタッフが必死に考えたり、協働した人たちと議論したりするプロセスの中から出てきたものであって、実際に出てくるまで何が生まれてくるかはぜんぜんわからないものです。出てくるまではわからないけれども、出てきたときに、いけるぞ、と共通に興味をもつ。そういう共有できるものをもちたいと思っています。
アイデアはいつも僕から出るわけではなくて若いスタッフの間から出たり、何か修正しながら変化の果てに生まれてくることもあります。それが出る瞬間は言葉によってではないのです。でも、それを探すことが建築をつくることのいちばん面白い部分だと思います。また、それは頭で探すのではなくて、身体全体で探すものだと思います。僕は話が上手くはありませんが、できるだけ自分に正直に思っていることを話します。そういうところから自分にとっての確かなことやアイディアを引き出すことができるのだと思います。
表現に、その人が本当にやりたい確かなものが出ていれば、どんなに稚拙なものでも素晴らしいと思います。自分にとって確かなものとは何なのか、それを探すことに尽きるような気がします。だから僕はスタイルをもちたくないといつも思っているし、スタイルでつくるようになったら建築なんかさっさと止めてしまおうと思っています。