アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
台北の外装で試みたようなことは、銀座の晴海通りにある「Dior GINZA」の外装でも試しました。
敷地が面している晴海通りは銀座のメインストリートのひとつですが、しかし同時に交通量がかなり激しい幹線道路でもあります。築地市場がこの先に控えているからか、トラックの割合も高い。高級なお店の軒の前をトラックがどんどん通り過ぎていきます。道路からさらに上を見上げると、巨大な電飾看板がずらりと並んでいます。高級感というよりは繁華街らしい安っぽさのあるものです。つまり銀座の晴海通りには、高級さと猥雑さをもつふたつの文化がひとつの通りにぐちゃぐちゃと混在しているのです。そうした中に、高級さだけに属する外装をつくる、これは結構困難なことです。普通につくってしまうと、必ず片方の文化を無視したものになる。もちろん、高級を売り物にするクライアントにしてみれば、幹線道路に特有の乱雑な雰囲気や、繁華街の安っぽさは嬉しいものではありません。どちらかというと無視してほしいものです。しかし、クライアントの気持ちを尊重しすぎて高級感あふれるものをつくると、反対に高級感がキッチュ(俗悪、俗っぽい)に見えかねない。それは避けようと思いました。
私が取った作戦は、できる限りプレーンで意味の薄いものにして、ただしその面積を巨大にする、ということでした。周辺にあるどの電飾看板よりも大きい面をつくる。するとその面が明るく輝くだけで、十分に他を圧倒するものになります。これで幹線道路や繁華街の文化に属するためのルールともいえる「他よりも目立ちたい」という態度を表すことができます。その上で、可能なかぎりプレーンで濃度が薄く繊細に、ディオールというブランドの雰囲気を出すことで、今度は高級ショッピング街の文化にも属させることができました。
昼の姿はつるつるして、捉えどころのないものです。縦横斜めにラインが、刺青のように走っています。このラインはディオールの製品に使用されているカナージュと呼ばれるパターンです。夜はディテールがほとんど見えない箱のようです。ところどころにカナージュのラインが、うすぼんやりと見えるのです。この外装は二重になっています。手前は孔のあいた1センチのアルミの板による装飾的な外壁で、その奥にプリントを施したパネルで機能的な外壁をつくっています。ふたつの壁の間はだいたい35センチくらいで、その間を光ファイバー照明で光らせています。装飾的な外壁のほうで使った1センチのアルミの板というのは、はっきりいって厚いです。薄くはありません。でも厚くしないと、アルミの板の面の剛性を保つための下地材が出てきてしまいます。そしてその下地材が必ず孔から見えてしまいます。それを避けるために、アルミなのだけれどガラスのDPGに近い考え方でアルミを建て込んだわけです。
35センチの隙間にはアルミの板を支える束が多数出てきていますが、色を微妙なレベルで調整して、視覚的に目立たない状態をつくっています。その他にも、考えつく限りの細かい技術を積み重ねて、建築的なディテールがほとんど見えないものにしました。つまり、どんどん建築的「部分」を消していったわけですが、結果として、建築に見えないような肌理をもった立体が現れました。とても面白いことだと思いました。
話は飛びますが、スターバックスのタンブラーは中の紙の入れ替えで自由にデザインができるという商品ですが、紙の入れ替えで得ることのできる自由というのはの実はかなり範囲の狭い自由ですね。何をやっても、結局はスターバックスのタンブラーでしかない。こんなものなど、自由とはいいがたい。それはよく考えれば誰にでもわかることです。
しかし、こうした限定付きの自由というものは、建築にもよく見られる性質です。外装に限って話をすれば、外装などというものは、工法の選択でデザインの半分以上が決まってしまいます。つまり、工法が決まってしまえば、このタンブラーの中の紙をデザインするくらいの自由しか残らないのです。ディオールでは、そうではなくて、タンブラーの仕組みそのものをデザインするレベルにいったん戻ろうとしました。操作の次元をちょっと変えてみたのです。操作の次元を変えない限り、本当の自由は得られない。つまり、何も変わらないと思ったのです。
操作の次元を変えてみてその先にあったのは、通常、建築から受ける重量感や質感などのイメージがするりと変化して、ほとんど重力のないような見え方でした。これもまた、わざわざ注視はしないけれど、フッと目に入ったらいつまでも記憶に残るようなものになっているのではないかと思います。