アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
「アパートメントI」で各階のプランを違えることをやってみたわけですが、後から、変化させることができた要因は階段だけではなかったな、ということに気づきました。当たり前なのですが、四角い建物に外壁は四面あります。その四という数と地上の四戸という数が一致する、何かそのことを利用できたかもしれないな、と思ったのです。
最後に紹介する案になりますが、安中榛名に計画している小さな小屋のようなこの建築は先ほどの「アパートメント I 」で思い至ったことを試してみようとしている計画です。クライアントは、安中榛名駅から車で2O分ほどのあたりに農家を一軒丸ごと購入されました。
この方はギャラリストで、作品を収納したり展示したり、またスペースをアーティストの制作に貸そうとしたりすることを考えて買われたそうです。母屋と離れ、蔵、そして門の前に小さな小屋があり、楽しい中庭が形成されています。これらの既存の建物に少しだけ手を入れて、週に二日ほど過ごしておられるのですが、キッチンや水回りがあまり充実していません。そのことが不満で、私たちにきちんとした風呂とキッチンを設えた離れを建てる計画を依頼されました。
敷地は母屋の裏手でした。ちょっと荒れた感じの雰囲気です。いかにも裏、という感じがします。この風景を見て、正直なところがっかりしました。なぜなら、最初に話を聞いた時には、軽井沢などの別荘地にあるようなきれいな緑の風景の中に設計ができることを期待ていたからです。しかし目の前に広がっていたのは壊れそうなフェンスだったり、もう少しで崩れそうな灯篭がぽつねんと立っていたりするような、何だかぱっとしないものだったです。
一時間くらいずっと眺めていたのですが、どうしても、好きになることのできる風景ではありませんでした。こうした雰囲気は、日本の田舎に蔓延する風景の感じに似ていると思いました。もっと具体的にいうと、さまざまなものが脈絡なくばらまかれているような風景です。畑の横に突然タイヤが積まれていたり、田んぼを侵食するようにパチンコ屋やラーメン屋がどんどん建っている。そうした風景は、散らかった部屋のように全体が汚らしく見えると思うのですが、まさにそれに近かったわけです。
都会の中の建築ではないし、ひとつひとつの木々や植物は悪くないのだから、やっぱり外の風景を楽しむ建築にしたい。だけど、普通につくってしまうと、さほど嬉しくない風景しか得ることができない。などと考えているうちに、離れの周囲の風景がいくつかに分割できることに気づきました。ひとつは緑色のフェンスが終わるところで風景が変わると思いました。次は錆びたフェンスが終わるところで風景が変わると思いました。その次は母屋が見えるか見えないかで、大きく風景の印象が変わると思いました。これらの風景画を混ざらないようにしてみれば、もう少し見られるものになるのではないかと思いました。
この風景の結節点に合わせるように建築を配置することを試みました。建築は正方形をしています。それを農家など他の建物の配置に対して角度をつけて配置させます。それによって、それぞれの点の延長線上に緑のフェンスの終わりや、錆びたフェンスの終わり、そして母屋の角を合わせています。さらに正方形の平面を、対角線で区切るような間仕切りを立てました。建物のコーナーを風景の結節点にもっていき、そして中を対角線状に区切れば、風景を明確に分類できると考えたからです。
田の字に仕切ってはこうなりません。たとえばこの部屋は、緑のフェンスと母屋だけが見える部屋です。この部屋はどちらのフェンスも見えないで、竹藪だけが見える部屋です。そしてこの部屋は黒いフェンスが見える部屋。最後の部屋は、母屋の壁だけが見える部屋です。
内部からは、窓いっぱいに風景が広がります。しかも窓の向こうの風景は、隣の部屋同士でまったく違うものになる。それによって、この建築の中をいろいろと移動する楽しさも生まれると思っています。それぞれの部屋の雰囲気が違うことを楽しむようになるかもしれないからです。軽井沢のような別荘地の風景は憧れますが、よく考えてみれば案外単調です。なぜなら、周りは36O度同じでどの部屋にいても窓の外には同じ風景、ということがよく起こります。この安中榛名の小屋の周りに広がっているのは、観賞用といった風景では全然ないけれど、もしかしたら通常の別荘の窓の風景よりも面白いかもしれません。
この小屋を外から見ますと部屋のコーナーが1カ所しかないので、不思議なインテリアに見えます。外側と中身がずるっとずれている感じがする。中身の距離感が外から掴めません。この距離感が掴めない感じは、インテリアの体験にも表れると思っています。この建築は方形の屋根をもつのですが、屋根の稜線の位置と壁の位置は一致させているわけです。そうした単純な操作で、インテリアから奥行のようなものを失わせることができることに気づきました。部屋に一歩入ると窓しかない。自分と窓、そしてその外に広がる風景。空間のたまりがなくて、無理やり風景と対峙するような空間なのです。
私は学生時代に山登りをしていたのですが、この感じをその時の体験でたとえてみると、崖の窪みでビバークしているみたいな感じかもしれません。自分と風景しかなくて、崖の存在感などないような体験です。崖の存在がフッと消えるように、建築の存在感自体がフッと消えてしまうような、そうした建築になれば素晴らしいのではないかと思います。なぜなら自然の中に建つ、風景を楽しむ建築として意味が出てくる可能性があるからです。御殿場内装設計で考えていたような「見えない」デザインへの憧れが、変形しながら現れているでしょうか。しかし、なぜ「見えなく」したいのか、これはもう少し深く考えてみるべきだと思っています。
このように、外装や内装ばかりのスタート時期から7年が経ち、少しずつ、いわゆる建築の仕事が中心となる状況になりつつあります。正直いうと、最初の頃は外装や内装ばかりやっていることにあせりがありました。それらの仕事では建築の問題に抵触できるはずがない思っていたからです。だけど、外装や内装という建築に抵触できにくい対象に向かっていたからこそ、設計意図を二重にしてして、次元の違うところにこっそりとアイデアをもってくるような感覚を掴むことができたのではないかと思っています。