アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
「いつのまにか」という考え方が立体にも展開でさることがモニュメントのプロジェクトでわかったので、建築にも応用してみようと思いました。十和田市で行われたコンペティションの案です。十和田市のメインストリートである官庁街通りといわれる道沿いに、パーマネントコレクションをメインに見せるアートセンターを計画するというもので、西澤立衛さん、藤本壮介さん、アトリエ・ワン、ヨコミゾマコトさん、そして私の5組による指名コンペでした。選ばれたのはご存知のように西澤さんの案です。アート作品は現代を中心に設定されており、それらの多くは空間全体を使って展示をする、いわゆるインスタレーションでした。
アートセンターというプログラムを考えるにあたって気になったのは、展示室とロビーの関係でした。作家がそれぞれに独自の世界を構築しようとするアートのためのスペースは、やはり閉鎖的なものが望まれます。多くのアートは壁がないと成立しない。極端ではありますが、事実です。それに対して、アートセンターのロビー空間は非常に開放的であることが多いです。展示室とロビー、これがいつも「閉じる/開く」であったり「暗い/明るい」であったり、何であれ対立的な位置づけを与えられている。そうしたことに私は疑問を感じました。
展示室とロビーの間に引かれた境界線は、わざわざ強固につくられているように感じられます。そうすることによって心の構えのようなものを準備させる、そのこと自体がつまらないですし、展示室とロビーという二項対立的な関係は、あまりにもドライです。またややもすると美術の「見世物」としての側面が強く出てしまうのが危倶されました。
私たちのアイデアは非常にシンプルでした。どのスペースもまったく同じ要素でつくるということです。その要素とはいうまでもなく、床・壁・天井と開口部です。ロビーも、動線空間も、展示室も、すべてその要素だけでつくります。床・壁・天井と開口部というシンプルな素材だけであっても、壁や天井に対する開口部の位置と数の関係によって、その部屋は明るくなったり、暗くなったりと、変化を起こします。壁にある開口部よりも天井にある開口部のほうが採光の面で何倍も有利ですから、同じ数の開口部をもつ部屋であっても開口部の位置を変えるだけで部屋の明るさが激変するわけです。しかしながら、当然天井にある開口部、つまりトップライトは外の風景を取り入れることができませんから、明るくても閉鎖的な空間になります。反対に、壁にたくさん開口部があいていたら、外の風景は取り入れることはできるけれど室内の照度は低めの部屋になる。こうしたことは設計をする者にとっては当たり前のことなのですが、この当たり前のことだけを使ってデザインをしてみるのはどうなのかな、と思ったのです。
ダイアグラムに示しましたように、左のようなスペースがロビーなどの機能に利用され、右のようなスペースは展示室に利用されます。そして、そのふたつの間をつなぐような中間的なスペースをたくさん設けます。そうすることによって、展示室とロビーという対立するふたつのスペースを滑らかに連続させようとしたのです。
平面ダイアグラムには、暗めなものから明るめなものまで、さまざまな階調のグレーが並んでいます。これは先ほどのダイアグラムと連動していますが、暗めのところはロビー的に使われているところ。明るめのところは展示室的な場所になっているところです。図面に置き換えるとこうなっています。
この建築にあるさまざまなスペースをひとつずつ描き出した図です。すべて同じパーツです。実に単調に見えます。しかしながら、開口部だってたくさんありすぎると、残りの壁は壁なのか柱なのかわからなくなります。すると、こうした開放的な場所だってつくることができます。
ロビー回りの空間は壁を多くして、明るいのだけれど少し落ち着いたライブラリーのようなスペースをつくりました。さらに、壁にも屋根にも開口部があるようなタイプのところになると、明るいし、開放的だし、という場所になります。そうした場所から少しだけ壁の開口部を減らすだけで、展示室ヘするりと変化してしまう。
これは小さな展示室ですから壁にある開口部の割合が大きいわけですが、大きな展示室になると壁にある開口部の割合が非常に小さくなるので、非常に閉鎖的な空間をつくることができる。それと同時にもっとも明るい部屋になります。こうして、部屋の雰囲気はさまざまに違うわけですが、床・壁・天井と開口部という要素が同じであることで、どこまでが展示室でどこまでがロビーなのか、よくわからないものにしようとしました。そうすることで、アートがある部屋に「いつのまにか、気づいたら、いた」というような、自然なアプローチが可能になると思いました。
本来、アートは、日常的な部屋の中にあってもよいものです。ただ、そんな贅沢ができる人は限られているから、皆でアートを見る場所を共用しているわけです。それがアートミュージアムの今日的な意味だと思います。つまり、教育の場などという大きな構えのものではなくて、共用のリビング程度に考えたほうがしっくりする。であれば、アートミュージアムはもっと日常的な印象を与える場所でなくてはいけません。リビングルームや書斎など、そのくらい普通であってほしい。その気持ちが「いつのまにか」というアイデアを採用する根底にはあったのです。