アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
私は、東日本大震災の復興支援で、主に岩手県を中心として関わりが深く、11ほどの復興支援委員会にメンバーとして参加しました。未だに4つの委員会は残っています。そういったこともあり、被災状況やこれまでの復興の進み方などの事情を比較的知っている者のひとりとして、お話させていただきます。
私は2001年から、建築の分野ではなくて土木の分野でデザインを教えてほしい、ということで10年間東京大学の土木学科、後に社会基盤学専攻と名前を変えますが、そこで教えることになりました。土木と建築と都市計画を繋げる、というミッションを自らに課して教壇に立ちました。大学を辞める際しては、お別れ会みたいなイベントとして最終講義というのをやることになっています。その日はとてもたくさんの方にお集まりいただきました。その最終講義が始まる30分前に大きい揺れがありました。それが2011年3月11日14時45分です。その時は、すぐに講義を中止にするという決断をして、集まられた方々には校舎の外へ避難していただきました。お集まりいただいた皆さんには日を改めて講義を再開することをお伝えして、解散となりました。その後は研究室に戻り、学生たちとテレビ画面に映し出される悲惨な光景に、ただただ釘付けになっていました。
それから大学にいる三週間、やれるだけのことはやろうと思い、建築、都市、土木の分野の先生方や講師の方に個人的に声をかけました。皆さんものすごく忙しい人たちなのですが、教授、准教授、講師のほとんどのメンバーの50人以上の方が一堂に集まってくださいました。ともかく各分野の情報共有をしようということになって、クローズドなサイトを立ち上げ、そこにそこにそれぞれの分野の先生方の最新の情報を持ち寄り、共有できるようにしました。短期間でしたが、かなり役に立ったと思います。大学を大官した後は、少なくとも月1回は、誰に頼まれなくても被災地に立つと決めて、これまでやってきました。最初の年はおそらく一週間に二度くらい訪れていた時もありました。だんだん減ってはいますが、今でもひと月に1、2回は被災地を訪れています。
震災復興に関しては、結論みたいなものはほとんどありません。というか、そんなものが簡単に出せるような状況ではないのです。また、建築家としてどう考えたらよいのかということに関しても、「これですよ」というように具体的な考えを示せるような話ではありません。ですから、これからお話する話は、やや支離滅裂になる部分や、論理的でない部分もあるかもしれませんが、ご容赦いただきたいと思います。