アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
一方でこういう建物をつくりながら、もう一方では被災地に行ってガラガラの地面を眺め、その中でやっぱり思うことは、大空間の場合には、どうやったら人のスケールまで近付けることができるか、人がその場所に訪れて、違和感のない場所だと感じることができる空間がつくれるかということです。私の事務所では小さな建物や住宅も設計していますが、小さな建物をつくる場合には、どうやったら建物の周りにまで広がっていけるかということを考えます。周りから孤立している建物だったら、どうやったら孤立せず、そこを使ったり住んだりする人が不安を抱かないようにできるかを考える。そういったことを必死に考える、当たり前のことをより単純に考えるような、そういう状態が続いています。これはおそらく、私の体の中に被災地の空気みたいなものがまだあるからで、当然被災された方と本当のところでの意識共有はできませんが、建築家というのはそういうところに向き合う存在なのかな、という気がしています。
冒頭に、「世界の始まり」と「世界の終わり」という話をさせていただきましたけど、建築はそのどちらでもない、その中間にあるような気がしています。世界の始まりと世界の終わりの真ん中、これが建築がある場所なのではないだろうか。これが本日皆さんにいちばんお伝えしたいことです。
今私たちがいるこの場所も、この「始まり」と「終わり」の間にあるわけです。皆さんが普段の仕事で、設計してる最中の、あるいは、設計を始めたばかりの建物も、この始まりと終わりの間にある。被災地に行くたびに、被災地のために何ができるかということももちろんありますけど、自分自身がいろいろ教えていただいている気がします。私たちが分かってるつもりで忘れてしまったことを、行くたびに教えてもらってるということを強く感じています。