アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
私がメンバーのひとりとして加わった岩手県津波防災技術専門委員会という委員会があって、ここでは防潮堤の高さを決めるのですが、東日本大震災後につくられた委員会の中でいちばんシリアスな委員会だったように思います。
その会議で、私の隣に東北大学名誉教授の首藤伸夫先生という、津波の研究者として高名な先生がいらっしゃいました。その首藤先生が「いろいろ会議をやってるけど、ほとんどのことはこれに書いてあるんだ」と言って、ある資料を配られました。それは、1836年の明治三陸地震の後に旧文部省が出した、地震に備えてこういうことに気を付けなさいということを記載した文章でした。その中には、たとえば「山の近くに住みましょう」「山際に住みましょう」という、今まさに議論している、あるいは、これまで議論されてきたようなことがほとんど書いてあるんです。
その中の大事なことのひとつとして、「街は海を向くこと」という記載があります。陸前高田市では、おそらく、明治三陸地震の後に街区のラインを描いた人が、できるだけ、ともかく海を向くように道路の敷き方を決めていたのだと、実際の街を見ると想像できます。ところが、時間が経つとそういったことは忘れられてしまいます。効率重視で都市計画を考える現行の復興計画では、道路のラインが海の方向とは無関係にまっすぐ伸びています。つまり、海にそっぽを向いている。なんとかできないか掛け合ってみてはいるのですが、ほとんどが手遅れです。10個あるとしたら、そのうち1個は話を聞いてもらえるというくらいで、一勝九敗くらい、ほとんど負け戦が続いています。
陸前高田の被災した写真の後に必ずお見せしているのが、1945年3月10日の東京の風景です。3月10日に東京大空襲があって、一晩で10万人以上の方が亡くなりました。
私たちの前の世代、あるいは前の前の世代の人たちは、空襲を受けて一面焼け野原で何もなくなった原風景を、頭に思い浮かべた上で、建築をつくってきたのだと私は思うのです。おそらく丹下健三さん(1913〜2005年)も前川國男さん(1905〜1986年)も、それから私の師匠の菊竹清訓さん(1928〜2011年)も、こういう原風景が当たり前のこととして頭の中にあって、その上で建築をどうつくったらよいかということを考えてこられたんだと思います。私たちはその焼け野原の風景を知りませんけど、今回の東日本大震災の被災した様子を見て、私たちもここから考えなきゃいけないんだという気持ちが湧いてきています。先ほど、日本はいろんな災害に見舞われるという話をしましたけど、それが日本の特殊性でもあり、ヨーロッパと違うところですね。
1959年の伊勢湾台風では、高潮と台風で大きなダメージを受け、死者・行方不明者合わせて五千人を超える被害がありました。防潮堤をつくらなければいけない、と言われ出したのは、ひとつにはこの伊勢湾台風がきっかけになっているそうです。その後、高度経済成長と共に、日本の港湾は防潮堤で覆われていったのです。1995年の阪神・淡路大震災では、よもや都市の中心でこんなことが起きるとは誰も思わなかったでしょう。2004年の新潟県中越地震は、私も復興に関わりましたけど、被害が非常に特徴的で、亡くなられた方は全体で68人なんですが、そのうち地震の揺れによる直接的な家屋倒壊と地滑りで亡くなった方が16人と少なかったのです。あれだけの大規模な災害でありながら不思議なことです。あの集落では、崖崩れがどこで生じるかということを、住民の皆さんが経験的に分かっていたのです。その自然に対する知恵のような感覚は、先人たちから受け継がれたもので、この地域ではまだそれが生きていたのだろうと思います。そういった先人の知恵が、時代と共に忘れられてしまって起こったのが、2014年8月の豪雨による広島市の土砂災害だと思います。その場所に暮らしてきた先人の知恵に対して、近代的な技術が乗り越えられるのだというある種の傲慢さを、私たちが持ち始めた時に、「そうじゃないでしょう」と自然が警告しているような、そんな気がしてなりません。
台風や地震が来たり、火山が噴火したり、そうやって私たちの国はいろいろな文化を育ててきたのかもしれないと考えています。新渡戸稲造(1862〜1933年)が1900年に『武士道』を刊行しましたが、その中で、ジョン・ラスキン(1819〜1900年)の言葉として、「戦争は人を鍛える」というメッセージが紹介されています。そこでは、人を鍛えるという言葉は、社会を鍛える、社会制度全体を鍛える、というような意味だったと思いますけど、私は今の日本においてこの言葉は、災害をはじめいろんなことが起きてくることが、「私たちの文化を鍛えている」と読むことができるような気がしています。台風や洪水がきてダメージにあう、そういう中で、文学や詩など、いろいろなことが生まれてきたのではないかと思います。この事実をどう受け止めるかが重要なのではないでしょうか。津波をどう考えるのか、それからその津波の被害が、どのような文学や芸術などに昇華していくかを考えるのも、私たちの大きなテーマなのではないかと思うのです。建築でもそうです。自然に対してどういうふうに構えるかというのは、建築の大きいテーマですけれど、ヨーロッパとは違う、日本独自の向き合い方というのが私たちにはあるのだと思います。