アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
今感じている、少し大雑把な話をしたいと思います。震災からひと月後くらいに岩手県の田老町から宮城県の仙台までの海岸沿いの被災地を中心に見て回りました。今でも覚えているのが、陸前高田の海岸の波打ち際に立った時に、眼前に広がった風景です。よく晴れた穏やかな日でした。海が非常に平らで、その後ろにはグラウンドのような山裾まで真っ平らな地面が広がっていました。まるで海と地面がほとんど同じ平面にあるかのようでした。本当に涙が出るような気分でした。その時、「ここまでやらなくてもよいだろう」と感じました。ただ同時に、経験したことのない不思議な気持ちにもなりました。目の前の悲惨な光景と重なり合っていたのは、それとはまったく違う次元で感じたことです。それは人の営みの虚しさ、そして天地の境を見たようなきがしたのです。
思い出してみれば、建築評論家の川添登さんにインタビューをさせていただいた時に、川添さんが復員して九州から帰って来て、終戦後の東京の焼け野原を見た時のことを語られたのですが、その感じとちょっと似ています。私は、ある種の「始まり」がそこにある気がしました。ところが、私が福島で見た風景というのは、まだちゃんとした言葉にできないんですが、「終わり」を見たような気がするんです。それで、ようやく私の頭の中の円環が閉じたような気がしました。片方は世界の始まり、片方は世界の終わり。そんな中で、建築家としてどうやって震災復興と向き合っていったらよいのかと、途方に暮れてしまいました。私は、建築家の建築的な思考や、建築を考えるような物事の組み立て方というものが、建築だけに留まらず、街づくりだろうが景観計画だろうが都市計画だろうが、あらゆる分野において、きわめて有効な能力だと信じて実践してきましたが、今はある種の精神分裂のような、以前までの考えが瓦解するような、不思議な感覚でいます。まだ考えがまとまっていないのです。