アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
ずっと岩手県を中心に復興のお手伝いをしてきて、これ以上は手一杯だと感じて他のエリアには一切関わってこなかったのですが、福島県の建築家の方々から講演会の依頼をいただき、つい最近福島に行ってきました。その講演前日に、双葉町を視察するツアーがあって参加しました。
双葉町は、東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴い、警戒区域[注4]として設定され、住民は他の地区への避難を余儀なくされている地域です。警戒区域にはバリケードがあって、監視員がいます。バリケードの向こうは人が住めず、立ち入ることも禁止されている。街はほとんどそのままでありながら、徐々に廃墟になっていっているという不思議な風景です。区域内に入ってすぐの所には、「原子力明るい未来のエネルギー」と書かれた大きな看板がありました。皮肉としか言いようがありません。何気なく見るとありふれた普通の風景ですが、よーく見ると歩道が荒れてきていたり、至るところから廃墟化が進んでいるというのが、分かりました。町はあるけど人だけがいない。ぞっとするようなおそろしい風景です。
警戒区域から入ってすぐの草むらは、測ってみると4ミリシーベルトという許容値の倍くらいの放射線値がありました。ここは、もう元の姿に戻れる可能性がないんじゃないかと感じました。建物は一見元の状態のまま放置されたようですが、建築家の目からよくよく見ると、どれもこれも打ち捨てられ、廃墟と化し、この状態まできてしまうとなかなか元に戻すのは難しい。三陸の場合は、自然によって物理的に街が壊されたという感じですが、双葉町の場合は、自然ではなくて技術信仰の愚かさによって心理的に街が壊された感じがします。これをどのように考えるのか。非常につらいですね。結論が出るまでにすごく長い時間がかかるような気がします。
また、双葉町では、ポリ袋のようなものに入った除染土が並んでいる風景を見ました。この一帯は、はるか山裾までほとんどセイタカアワダチソウでおおわれていました。こんな広大な野草の風景はこれまでに見たことがありませんでした。おそらく皆さんの中のどなたも見たことないと思うんです。かつてはずっと水田だった地域だと思うんですが、それが原発事故のせいで耕作できず、広大な野原が広がっているのです。
さらに、JIA東北支部長の辺見美津男さんが、ご自宅のすぐそばだと送ってくださった写真があるのですが、そこには見渡す限りの青いビニールパックの山が映されていました。パックの中に詰められているのは除染された土や落ち葉です。しかし現実には、除染なんて全然行き届いてないわけです。人が住んでるところは除染が進んでいますけど、少し草むらに入ると全然除染が進んでいない。この青いパックはトンパックというらしいのですけど、ひとつのパックに1トン入るらしい。今後も、私たちの想像を超えるトンパックが出てくるのでしょう。いったいこれらはどうするんでしょう。一次保管ということを決めましたけど、一次保管と言ったって、多分そのまんまになるんだろうなと想像してしまいます。だって、どこの自治体だって引き受けないですよね。こういう現実があるのです。
[注5] 災害によって身体などが被る危険を防ぐために、災害を鎮めるための作業員など許可を得た者以外の出入を禁止したり、制限したりしている区域。東日本大震災においては、原子力発電所から半径20キロメートル以内が警戒区域として指定された。震災後、全域が警戒区域に指定されていた双葉町は、2013年5月に、「帰還困難」「避難指示解除準備」の2区域に再編された。