アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
「金沢21世紀美術館」外観俯瞰
妹島私がひとりで事務所を設立してから31年、西沢とSANAAを設立してからは23年が経ちます。私たちは当初からずっと、建物の内部と外部を繋げるような建築をつくりたいと考えていますが、手掛けてきたプロジェクトごとに、その考えを少しずつ発展させてきました。本日は「環境と建築」というテーマで、ここ7、8年における私たちの考えをお話しさせていただきます。
石川県金沢市に設計した「金沢21世紀美術館(2004年)」は、当時の私たちにとって、それまでに経験したことのない大きさのプロジェクトで、その辺りから少しずつ大規模な公共建築を設計する機会が増えていきました。建物の規模が大きいと、その建物を取り巻く周辺環境も大きく、多様です。その中で、建物とその周辺をより一体的に考えられないかと思うようになりました。
「ルーヴル・ランス(2012年)」は、パリのルーヴル美術館の別館として計画されたもので、規模は敷地が約20ヘクタール、延床面積が約32,000m²という非常に大きなプロジェクトです。建物は小さな住宅が並ぶ地区の真ん中に丘があって、その上に建ちます。建物規模は周りに比べてたいへん大きなものでした。そこで私たちは、建物を周辺に馴染ませるために、建物を各プログラムで必要とされているボリュームごとに小さく分けることで、それぞれが周辺環境と繋がるような構成を提案しました。
「ルーヴル・ランス」北東より見る夕景
「ルーヴル・ランス」平面
「ルーヴル・ランス」断面
西沢敷地はルーヴル美術館のあるパリから北東へ約200kmのところに位置する、ランスという地方都市にあります。ランスはかつて炭鉱地域として栄えましたが、エネルギー革命に伴い1980年代に炭鉱を閉山して以降、街は産業と雇用を失い、「ルーヴル・ランス」のコンペが開かれた時には、ランスはフランスで2番目に貧しい都市と言われていました。ルーヴル美術館とフランス政府がランスをルーヴル美術館別館の建設地に選んだのは、ランスの再活性化、地方都市文化の育成、という大きな目標がありました。
ランスには、炭鉱や貨物支線等、炭鉱時代の産業遺産がいまだに多く残されていて、敷地周辺にはいわゆる労働者住宅のレンガ造の街並みが広がります。「ルーヴル・ランス」が建つ丘も、かつて炭鉱だった場所で、丘の上にさまざまな産業遺構があります。住宅地の方は平らですが、このプロジェクトが建つ敷地の丘は周りから4mほど高くなっており、自然の傾斜を持った丘です。普通であれば、建物を建てやすいように、土地を平らに造成して、その上に建築物を建てるのですが、そうすると丘の形状が大きく変わってしまいます。たとえ開放的な建築をつくったとしても、丘の上だけがまるで地方の田園地帯に突然巨大な工業団地や国際空港ができたような、周りとの断絶が起きるように思いました。そこで私たちは、土地を造成せずに、傾斜した地形なりにそのまま建築を建てることにしました。具体的には、建物をいくつかのパビリオンに分割し、小さくして、敷地の起伏に沿わせるように連ねつつ雁行して並べて、建物全体を構成しています。敷地にはカバリエと呼ばれる軌道土手跡や、シャフトと呼ばれる産業遺構がいくつも残されているのですが、それらを保存するように、それぞれのボリュームがカバリエや樹木を避けながら敷地を横切る配置を考えました。建物はたいへん長いものになりますが、万里の長城のように、緩やかに下がっていく地面に沿って配置されます。各パビリオンは異なるレベルに建ちつつ、おのおのが繋がる、という構成です。建物が敷地の傾斜に沿って建つので、建物内部の床も緩やかなスロープとなり、屋根も片流れでわずかに傾斜して、建物と敷地との調和を図りました。
「ルーヴル・ランス」南西より見る
「ルーヴル・ランス」常設展示室(時のギャラリー)
「ルーヴル・ランス」エントランスホール
妹島建物の外壁面も、自然の地形に沿っています。カーブとは分からないような大きな曲率で外壁が穏やかにカーブしていて、建物周辺を歩いていると、建物の外形が柔らかく感じられます。私たちはこれを、形態的なカーブに対して、経験的なカーブと呼んでいました。
西沢雁行して連なる5つのパビリオンのうち、中央のものは、書店やチケットセンター等があるエントランスホールとなっていて、四方から入れるようになっています。その左右に常設展示室(時のギャラリー)の棟、企画展示室の棟を振り分けています。時のギャラリーの先には街を見渡せる常設企画展示室(ガラスパビリオン)棟を、反対側の企画展示室の先には劇場の棟を設けています。元もとルーヴル美術館のコレクションは19世紀以前のものがほとんどなのですが、近年は20~21世紀の現代美術もコレクションすることになり、映像作品等も展示できるように、劇場と展示場を1体的に使用できる配置としています。
また、ランスの炭鉱の街としての歴史と、「ルーヴル・ランス」の展示品をどのように繋げるかも課題となりました。それについてはいろいろな提案をしています。まず、時のギャラリーを細長い長方形の展示空間として、展示品を紀元前3500年から19世紀まで時系列で並べる展示を提案しました。また、展示品は壁に展示するのではなく床に分散的に展示しました。壁に展示すると、作品がどうしても1列になってしまって、作品相互の関係が線的になってしまいますが、ヨーロッパでは作家の影響関係が国境や時空を超えて面的に広がるので、そういう立体的な広がりを壁展示ではあまりうまく表現できません。そこで、床置き展示とすることで、作品はネットワーク状に分散し、時系列だけでなく国や時代を超えた作家同士の立体的な相関関係を比較的忠実に表現できるようになりました。この時のギャラリーの最後の作品は、ウジェーヌ・ドラクロワ(1798~1863年)の「民衆を導く自由の女神(1830年)」で、つまりフランス革命で終わります。時のギャラリーを鑑賞し終えると次はガラスパビリオンに移り、そこはガラス張りで、庭の産業遺構と丘の下に広がるランスの労働者住宅のオレンジの甍の波を眺めます。そのようなかたちで、ルーヴル美術館の作品群が表現するヨーロッパ史と、産業革命以降のランスの街の歴史との繋がりを、来館者は感じることができます。
妹島ランスのある地域は太陽高度がとても低くて、まるでヨハネス・フェルメール(1632~1675年)の絵画のような間接的な薄暗い光が都市を覆っています。最初にこの街を訪れる人はみな、この美しい間接的な光に感心します。時のギャラリーでは、全面的に天窓採光にして自然光を展示空間に導入し、ランスの街の光とまったく同じ光でルーヴル美術館のコレクションを観る、という展示室となっています。ルーヴル美術館の方がたからも自然光が入る展示室を要望されており、資料館に収められた宝物を見るようにではなく、紀元前3500年から現代までの時間の繋がりの中に自分たちがいることを、「ルーヴル・ランス」を通して感じてもらいたいという意図があったようです。建物内部の緩やかなスロープを歩いていると、降り注ぐ自然光を浴び、まるで森の中にいるような感覚になります。来訪者は展示室内を散策するように、思い思いに観て回ることができるのです。
「ルーヴル・ランス」炭鉱時代のシャフトを再利用したロータリー
西沢いくつかに分けられたボリュームは雁行配置とすることで、内部と外部の多様な関係をつくることができると考えました。エントランスホールやガラスパビリオンはガラス張りで、内部からは建物外部のカバリエ等の産業遺構が目に映り、庭全体がひとつの展示空間のように感じられます。また、時のギャラリーや企画展示室の外壁はアルミで仕上げているので、周辺の樹木や労働者住宅の橙色の屋根といった街の風景を映し出します。一方、建物内部でこの壁は、今度は展示物と来訪者の私たちを映し出します。
妹島「ルーヴル・ランス」の設計当初、私たちが心配していたのは、パリのルーヴル美術館と比べるとこちらはたいへんローコスト建築なので、こんな安っぽい建物だったらパリで観た方がよいと思われてしまうのではないかということでした。価格ではとうていかなわないので、ルーヴル美術館とはまったく異なる空間体験の場を目指しました。ラフな倉庫のような空間でアートを展示するか、もしくは新しい経験を持ち込まない限り、ただの安い建物になってしまうと思い、倉庫的でありながらもどこか現代性な瑞々しさがあるような建物のあり方を探りながら、設計していきました。
「ルーヴル・ランス」は一年に20%ずつ展示品をパリと交換しているので、5年も経つと展示品がすべて変わることになります。再び、全体を考え直す時期に差しかかろうとしています。