アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
若い頃はあまり興味がなかったのですが、歳をとるにつれて、骨董品の美しさを身に沁みて感じるようになりました。最近では自分で買ってきたものを棚に飾って楽しんでいます。完璧なものだとものすごく高いので、私が買うような古い小さなお猪口やお椀は欠けているし、場所によってはひびも入っています。どんな人がそれを使って飲み食いしていたかわからない。肺を病んでいた人が使っていたかもしれない。汚いか、きれいかということになると、確かに汚い。けれども美しい。この美しいということが大事なんです。そこから美学というものを吸収し、自分の建築に出していくのが私のやり方です。
私は今マンションに住んでいます。子供も成長し、それぞれに個室がいるということで古いマンションを買い足しました。そのマンションの風呂や便所(サニタリー・ブース)は、まだ十分に使えるのですが、家族が何となく汚らしいので新しいものに替えてほしいというので、私は「使えるのにもったいない」、と反対しましたが、仕方なくみんな取り替えることになりました。まっさらでピカピカになった状態を近所の人たちが見にきます。私に「まあ、出江さん、きれいになりましたね」という人もいれば、「美しくなりましたね」という人もいます。やはり、「きれい」と「美しい」を混同しているのです。
サニタリー・ブース(風呂・便所)のサニタリーとは「きれい」、つまり「衛生的」であることが本質であって、「美しい」ことではありません。サニタリー・ブースは汚くなったら捨てます。ところが、骨董品は、古くて汚いけれども美しい。世界の古い街、例えばイタリアのベニスや、わが国の京都や倉敷や奈良など思わず絵を描いてみたくなるそれらの街は、古いけれども美しい。それは人間の心の情に訴えているからです。人間の情を優しく受け止め、吸ってくれる材料でつくられているから絵を描いてみたくなるのです。
煉瓦と煉瓦タイルを比較してみましょう。煉瓦の吸水率は三十パーセント、煉瓦タイルの吸水率はゼロ。煉瓦タイルの赤い表面を弾くと磁器質の白い色が出てきます。煉瓦ではありません。嘘っぽい。大理石のように見えるプラスチック、皮のように見えるビニール、城東そうに見える木目の化粧板。みんな嘘っぽいんです。しかもドライ。すべての現代建築材料はドライです。昔の瓦は吸水率が七パーセントから十五パーセントぐらいあったから、ぺんぺん草も苔も生えました。現代の瓦は吸水性ゼロですから何も生えない。色も単一で最近の日本の瓦屋根は絵になりません。画家の小野竹喬も瓦一枚一枚の色むらが面白いんだといっています。そういう材料が昔の材料なんです。