アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
ギーガーの映画を見て返ってきたとき、なんか色っぽい印象が残りました。そのグラビアをじっと見ていたら、女性の性器だったんです。あまりにも巨大で、金属でできているから、映画の中でパッと見たときにはわかりません。ギーガーもインドへいって、ずいぶんヒントを得て、作品をつくっています。建築の空間、空間の原点とは子宮だといえると思うんです。抽象化されているから、パッとはわからない。そういうものが利休の美学の中にもあります。
ところが、その色気をあんまりモロに出していくと、エログロになります。「色気の抽象化」が大事です。建築家はあらゆるものを抽象化する力をもたないと、なかなかいいものがつくれません。
ボッティチェリは聖母マリアを裸にし、ビーナスをつくっています。「ザクロの正母子」と「ヴィーナスの誕生」は同じ顔をしています。色気の抽象化とはそういうことで、品のいい色気であることが大切です。建築の中で、これをどう抽象化して表現していくか、そこがプロの勝負です。
大徳寺の中にある「篁庵」という茶室の中柱に、色っぽく曲がった赤松の丸太があります。これは女性が、体をスッと色っぽく捻じっている姿を思い浮かべます。映画「陽暉楼」の女優(名取裕子)のあるワンシーンの裸体の軸線をとっていくと、その線が「篁庵」の丸太の線にたいへん似ています。 この捻れは色気の抽象化であり、また、これも風土から生まれてきたものだと思います。
茶室の主人の精神を表す中柱が捻じっているのは、色気の象徴なんです。赤松は赤黒い色をしています。「幽玄」ということばがありますが、微かな色気という意味です。幽玄の「玄」は、「赤み混じりの黒」を意味します。日本には「黒」という字は二つあり、単に黒いだけのクロと、玄人さんのクロです。羽織、紋付きは、真っ白な絹の羽二重を一回真っ赤に染めてから、黒に染めます。だから、黒をめくっていくと、最後に真っ赤な血が出てくるのです。それは、メンスを意味しており、それが色気なんです。日本の黒には、黒の背景に血の色がないといけない。ところが、西洋のブラックは、どこまでいっても黒のままです。単純です。素人と玄人ということばがありますが、玄人さんは色気を商売にする人という意味です。
また、幽玄の「幽」は「微かな」という意味ですから、微かな色気が建築にないといけない。「篁庵」の柱が赤松であるのは、そういう意味があるのだと思います。
また、二元対比は日本の大事な美学ですが、この茶室では女性的な意味としての曲がった赤松があり、これに対して男性的な意味としての真っ直ぐな竹が対比されています。