アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
和辻哲郎は『風土論』で、日本の高温多湿について語っています。「高熱という温度の高さに対しては耐えることはできるけれども、湿度に対しては耐えがたいものがある」と書いています。西洋は、夏、湿度がありませんから、日陰に入ると涼しい。しかし、日本は高温でしかも湿度が高い。我慢しないと仕方がない。日本人には虐げられた同じ条件がみんなにかかっています。それを我慢しないと、五穀豊穣もありません。だから、高温多湿にみんなが耐えています。そのことが、日本人の心にどんなものをもたらしたのでしょう。
かつて私は竹中工務店におりました。まだ冷房もない戦後の頃、ネクタイを締め、背広を来て、汗をかきながら地下鉄の超満員の中、会社に通いました。かつて武士社会ではどんなに暑くても、袴を着けてビシッとして殿様に会いにいっていたわけです。ここで日本人の心の中に忍耐、忍従という心が生まれてきます。忍耐していくとどうなるか。心がゆがんでくるし、捻れてきます。この忍耐、忍従の心が数寄屋建築を生み、茶室建築を生んだのです。それは数寄屋建築の床柱に見られる、あのギューッとし捻れていたり、グニャーッとゆがんでいたりする、ああいう美学を生み出したのです。
日本の美学はすべてにおいて、この高温多湿からくる、忍耐、忍従に支配され、負の美学を生み出してきたのです。和歌、俳句、お茶、お華、お能、そして色彩、これらはすべて負の美学が支配しています。例えば藤原定家の和歌には「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」とあり、ない花と紅葉でうら淋しい晩秋の浦の苫屋を美しく飾っています。また、俳句では芭蕉が「此の道や行く人なしに秋の暮」と人生や人間の淋しさを詩っています。お茶では利休が、茶の心とは「花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや(定家)」と雪間の野の草の美しさこそ、わが茶の心であるといっています。お華では池坊慶応が、「花は薄い方がよい」といっています。これはお華において「厚い」「薄い」という心のことで、「厚い」は花を多くして心なきことをいい、「薄い」は一輪の花でもってその背景に心の豊かさを活けようというものです。お能は、歌舞を見たのち、その実体が薄れ、美しい余韻とイメージを演じたもの。そして色彩は「はんなりした色」となります。これは茶花からきた色彩感覚で、芭蕉の「きさ潟や雨に西施がねぶの花」の、雨にけぶるピンクの花の色のことです。
「はんなり」は常に雨を介在したグレイッシュな色を意味します。
このように、日本の風土から生まれてきた美学が、建築にも現れ、それが茶室から数寄屋へと移っていったのです。「清く、正しく、明るく、美しく、真っ直ぐに」という単純明快な「偶数的な美学」に太子、「奇数の美学」でないといけないのが日本の美学です。奇数にしても奇数屋ではアホみたいなので、引っ繰り返して「数寄屋」といったのです。二で割り切ってパンとわかるような偶数人間は駄目です。奇数は余りが出ます。その余りは、ゼロ以下のところに隠れている数字の隠し味であり、それが日本の美学です。
数寄屋に限らず現代建築も、そこへ訪れて、何か美味しいものを食べるなり見るなりして帰ったそのあとで余韻が残ります。「またいってみたい」という余韻とは余りなんです。余りは奇数でないと出ません。その余りの美学が余韻の美であったり、余白の美であったりするのです。