アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
あるとき、「出江さん、公団はどれぐらいの高さのものを建てたらいいんでしょうか」と聞かれました。私は「公団は文明都市をつくりたいのですか、文化都市をつくりたいのですか?」と返したところ、「文化都市です」というのです。文化でありたいと思うのなら、しかるべき階数があるはずだと私は考えます。
私はマンションの五階に住んでいます。裏に公園があって、子供が小さい頃そこでよく遊んでいました。お昼になったら帰ってきなさいといっても、子供は帰ってきません。公園でワイワイいいながら遊んでるわけです。日曜日、私が寝ているのにワイフが五階のベランダから公園に向かって「ごはんですよ」と大声で叫ぶんです。私が「恥ずかしい、下へいって呼べ」というと、「あなたがいって呼んできたら」と。私は聞こえないふりをして寝転がっています。何回もワイフが大声で呼んでいるうちに聞こえて、子供が走って帰ってくるわけです。
公園などは、子供がキャーキャーいってますから、五階でもなかなか聞こえにくいのですが、まあ、なんとか聞こえます。環境によっても違いますが、十階ぐらいまでは静かであれば聞こえます。それ以上になると、文明の利器を借りないとだめでしょう。文明の利器、マイクロホンで「ただいまより出江家は昼食でございます。出江家の息子さんは速やかにお帰りください」と伝えるわけです。
また五月のさわやかな季節、五階ぐらいだと窓を開けて昼寝をすることはできますが、建物が高くなってくると、風が強くてカーテンはパタパタするし、中の書類は飛んでしまうので、窓を閉めることになります。すると暑いから、やはり冷房という文明の利器を借りることになります。
今度の神戸の地震で一番困ったことは、水洗便所の水が止まってしまったことです。みんな下で水を汲んでバケツを二つもって上がるわけですが、五階から上はたいへんです。バケツをおいては休みながら上がっていっても、せいぜい十階まででしょう。つまり、十階より上はエレベーターかエスカレータという文明の利器がないと上がれません。
法律に定められたものでなく、人間の足、目、耳、口で通じる範囲のことを「ヒューマン・スケール」というのだと私は思うのですが、そのヒューマン・スケールを超えたときに文明の利器が必要になってくるのです。
ビジネス街などは土地が高いですから超高層も仕方がないでしょう。しかし、働いて帰ってくるところ、つまり住居は、ドライな環境では心が休まらないと思います。住居地域などは、優しく社会共通資本になる古美るものを考えなければいけないと思います。そんな意味から、文化と文明の高さの分岐点は十階ではないかと考えます。