アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
京都の大徳寺の庭園は「真・行・草」になっています。「真・行・草」を楷書、行書、草書と思ってください。一休の書は、最初、楷書で始まり、行書を経て草書になっていきます。テレビで建築家が一休の書を見て「なんか最初はまじめに書いてるけど、だんだん疲れてきて、最後のほうはクシャクシャですね」といいましたが、そうではありません。
一休は、自分の人生観を美学として書にとどめたのです。一休は十七才のとき、西金寺謙翁の弟子でしたが、師謙翁が志望し悲嘆の末、自殺をはかるが思いとどまります。そして二十二才のとき、江州堅田の大徳寺派の華斐宗雲の門弟となり二十七才まで厳しい修行の時代を送る。この時代を「真体」とします。そして、その寺を出て、俗人になり、だんだん人間が俗化していく。角がとれていくわけです。この時代を「行体」といいます。
晩年は、森女という盲の旅芸人と酬恩庵で二人で暮らしました。禅宗ですから、あまり女も近づけたらいけないし、生のものも食べてはいけない戒律の中、彼は屈託なく森女といっしょに暮らします。ある日、森女がお腹が痛いといって、庭へ出て戻ってきたら、股ぐらが血だらけだった。明くる日、弟子が庭へいったら血の塊があり、それは嬰児であったという話があります。あのナイーブなとんちの利く一休さんが、晩年はそういうふうになっていきます。
彼は好き放題、自由奔放に無茶苦茶なことをしても人気があり、弟子が逃げなかったといいます。素晴らしいキャラクターのもち主だったようです。
このような「真・行・草」の美学を建築や庭に活かしていきます。
京都の竜安寺の石庭ですが、塀に六尺もあるような軒が出ている。それは、軒の下に暗い陰が欲しかったからです。ドライな白河砂の石庭に対して、後ろのうっそうと繁った緑がある。そのウエットなものとドライ(白砂)なものの間合いが土塀の陰です。これによって間合いをつくって、間合いを面白くしているのは黒々とした油壁です。そこに人間の煩悩みたいなものを感じるのです。
方丈に座ると庭に対して軒先と縁側と袖壁で切られてトリミングされる。日本人というのは、トリミングの名手なのです。
竜安寺の庭には身体・行体・草体があるのです。みんな石庭の真体だけ見て帰ってしまいますが、今度いらしたときには、気をつけて見てください。竜安寺は、木も真体の木、行体の木、草体の木と全部仕分けしています。
そういう「真・行・草」という美学をずっと後に小堀遠州がやっています。先ほどの「草庵」と「龍行院密庵」を比べてみましょう。「篁庵」も同じように袖壁に穴があいているのですが、その向こうには何もない。しかし、「密庵」は穴の向こうに絵が見えるのです。間合いが面白いのです。正面右側の空間が「真体」の空間です。「真体」の空間は角材でできています。そして「草体」の空間は何もない真っ白の壁で、落とし掛けが丸太です。「真体」の角材の落とし掛けと「草体」の丸太の落とし掛けとの間合いである「行体」の落とし掛けが竹の子状に削ってあるので真、行、草、のそれぞれの接点が実に違和感なく見事に納まっています。
「真・行・草」の美学を私もやってみたいと思いました。そこでできたのが「茫々庵」です。
ワイフの友人から茶室をつくって欲しいと依頼がありました。最初は五百万円でやってほしいといわれまして……。茶室は一億ぐらいかかります。安物でも五、六千万はかかります。そして今や丸太大工なんてほとんどいない。あの丸太と丸太を髪の毛も入らないほどきちんと合わせるのですから、手間賃がものすごくかかります。銘木、銘土、銘石などとなんやかやと、とにかく高いのです。しかし、庶民性を取り戻してこそ、日本の数寄の美学はあるのだと常々考えております私は、挑戦することにしました。「茶室でなく、茶小屋なら」と施主に話したところでご了解いただけました。
外壁にスレートを使っています。九鬼周造は『いきの構造』の中で「二本の平行線、レールがいきである」といっています
この粋の感覚で、無機質でベタベタしていないスレートを外壁に使いました。何よりもローコストで庶民的な材料です。
にじり口の枠も、卍くずしにつなげてはのばしています。西洋だと正方形でまとめてしまうのですが、そうはしていません。スレートの小口は汚いから、階段のノンスリップを当てて見えないようにしています。安い材料です。
室内はご正客が座ると、袖壁の穴を通して向こうにヌードが見えます。「ルネッサンスとは女性を裸にすることなり、宗教とは女に厚木をさせることなり」と、亀井勝一郎がいっていますが、ここでは茶室のルネッサンスをやろうというのが狙いです。そういう意味合いで、間合いが面白くなるようにしているのです。一方に世界中のいろいろな新聞が貼ってありますが、新聞は言論の自由であるという意味合いで、活字で埋めて自由な空間を表現しています。日本の活字は一つもありません。ここは瞑想空間ですから、日本語があると読んでしまい瞑想できなくなるからです。そして一方は「密庵」で、真っ白な壁で自由な空間を表現しています。表現は正反対でありながら、どちらも自由を表現しているのです。床の間が真体の空間であり、そして行体があり、古新聞を貼った壁が自由を意味する草体の空間になっているのです。「真・行・草」の現代の表現を考えた作品です。
大きいホテルは世界中の新聞を取り寄せますから、その古新聞をもらってくればいい。
それを仕分けして、ハサミで切って、柄の悪いところは切り取ってコラージュしてあります。これは実は「待庵」の藁すさを意味しています。
利休の「待庵」は国宝ですが藁すさが出ています。それは下塗り、中塗りで止めてしまうからです。上塗りをしていません。牛小屋や馬小屋と同じです。聚楽の上塗りをするよりも、藁すさが出ていることが面白いのです。もしも、上塗りをしてしまったら、つまらない茶室になったと思います。中塗り止まりにすることにより壁が光を吸収し、藁が光の何パーセントかを反射します。茶室の薄暗がりの中で、藁すさが微かに光っているのは装飾に見えてくるわけです。また、装飾と見えないものを装飾として見せる利休のやり方です。それを私の「茫々庵」では新聞の文字を藁すさに例えてやっているわけです。
トタンにも斑があります。藁すさが面白いように、この材料そのものがもっている斑を面白いと見立てています。世阿弥は能の舞の九つの位のうちの最高位に「閑華風」をあげています。「閑華風」とは一面雪の銀世界の中で、真っ白のシルクの打ち掛けを着て舞を舞うのです。それを最高の舞だと。そういう意味で、みなさん、トタンをよくご覧になってみてください。トタンのなかの小さな結晶が雪に見え、風にフワーッと舞っている感じがします。私は「閑華風」の空間をつくってみたかったのです。亜鉛ですから、今は光っていても、それがやがてくすんできます。光らなくなったとき、それは夕暮れの閑華風、また夜明けの閑華風になると思っています。
これはH鋼の床柱です。「待庵」の床柱の杉丸太を注意深く見ると、右側は直線で左側はウネウネとしています。利休は直線と曲線の二元論。これを私はH型鋼でやってみました。床柱を天井までのばしてしまうと、上の荷重を支える労働というニュアンスが入ってきてしまいますので、空間の象徴という意味で天井を貫かないで止めています。またH鋼を醤油で洗うと、すぐ茶色になります。
京都の光悦寺に光悦垣というのがあります。庭が狭いため、真ん中に竹の垣根をつくっているのですが、狭い庭を広く見せる手法の一つです。ここの庭も狭いので、アルミメッシュで光悦垣をつくりました。奥行きをつくろうという狙いです。そしてその後ろに桜があります。利休の師匠である武野紹鴎は「桜は塀の外に植えよ」と説いています。桜は幹が太くてヤボだから、花と枝だけ見なさいということです。このことからアルミメッシュの塀の向こう側に桜を植えて幹を見せないようにしています。
ご近所に立て替えのお宅がありまして、そのときに古瓦をもらって、瓦庭をつくりました。