アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
そんなことを考え始めるきっかけになったのが「せんだいメディアテーク」でした。1995年にコンペが行われ、私たちの案が一等になり、2000年に竣工した建物です。コンペ案を提出した段階では透明感があって軽くてモノの存在感がない建築をつくりたいと考えていて、構造体である鉄骨のチューブが力を受けていないように見せたい、透明感のある光のチューブのように見せたいと思っていました。コンペの時点で構造設計者の佐々木睦朗さんが提案したモデルでは、できるだけ薄くて強いフラットスラブをつくりたいということで、グリッド状のリブを二枚の鉄板で挟んだサンドウィッチパネルを使う計画にしていました。そしてチューブの構造は、トラスを組んでHPシェルの曲面をつくるという計画でした。ですから、コンペの時点では、ストラクチュアは純粋幾何学の組み合わせで構成されていたのです。
ところが実施設計が進み、現場が始まると、その純粋幾何学だけではうまくいかなくなってきました。力の流れ方に不均質な状態が表れたのです。端的にそれが表れたのがチューブの周囲の床でした。チューブの周りには非常に大きな力が働くので、格子状のグリッドパターンで計画していたものが不均質な三角形に割られていったのです。複雑な力の流れを可視化するパターンとして表れたわけです。そして現場では、ものすごく大量の溶接が行われました。
その溶接作業をやっていた頃、地元で、この建築に反対する声が聞こえてきました。「こんなチューブは止めて、普通の柱にした方が、よはどスぺ−スが広く使えるではないか」と地元の新聞などを通じて言われていました。それはミース的な均質なグリッドの空間にしてしまえ、というのと同じことです。たしかにチューブをやめて、普通の柱を使うことは可能ですが、チューブのスパンは平均して15m近くあるし、場所によっては20m近いところもあるので、やはり太い柱と厚いスラブを使うことになります。チューブの中に納めているエレベータシャフトや階段もどちらにしても必要なのですから、決して無駄をやっているわけではないのですが、一般の人から見ると無駄に映ったようでした。そういう状況もあり、当初考えていた存在感のないチューブというものではなくて、なにがなんでも動かない強いチューブをつくりたいと思いました。徹底的に力技で交戦しようと思ったんです。
ここで注目して欲しいのは、グリッドで計画していた床が、有機的なチューブを配置した途端に「東京−ベルリン/ベルリン−東京展」の波打つ床のように、グリッドが解体され変形を始めたことです。純粋幾何学でつくられている全体のボリュームの中に、有機的なものが発生したことで、純粋幾何学が変形したのです。そこには均質であることを合理的だとするシステムに対して、むしろ不均質なものこそが自然界をつくり出しているという、つまり自然本来の姿が表れていると思いました。たとえば、一本の木は全体としてバランスが取れているけど、一本としてシンメトリーな木なんてないですよね。こうして「せんだいメディアテーク」をきっかけに、私は「もののもつカ」ということについて考えるようになりました。