アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
最近では、私の仕事の70パーセント程度は海外のものになりました。それは海外の仕事だけをやりたいと思っているわけではなく、日本では仕事があまり来ないからです。海外でなら、まだまだ仕事がある状態にあります。これは磯崎新さんでも槇 文彦さんでも安藤忠雄さんでも同じ状況のようです。国内ではコンペも少なくなっていますね。
海外での私の経験をお話しますと、パリで「コニャック・ジェイ病院」という癌などのリハビリテーションやホスピスを行う病院のコンペに当選して、その設計を七年間くらい掛けてやっていました。オーナーは私が九州でつくつた「養護老人ホーム八代市立保寿寮」という小さな老人ホームを見たという唯一の理由で私をコンペのメンバーに入れてくれました。ジャン・ヌーベルやドミニク・ペローたちも案を出したのですが、日本という遠い国にいる私の案を選んでくれました。
当選後初めてオーナーと打ち合わせをした時に、街に向けたファサードの案をふたつ持っていったのですが、「あなたのいちばんやりたいことを見たいと思っているのに、なぜふたつの案を持ってくるのだ」と突き返されました。これはたいへんなクライアントだなと思って翌月、ひとつに絞ったものを持っていくと、今度は「どうして、こういうルーバーなのか、どうしてガラスは、こういう割り方なのか」と細かく聞いてくるのですね。それで自分でもそれらについて考えていくと、どうも完全には説明が付かないことばかりでした。結局、毎月一回プレゼンテーションをして、六カ月ほど経った時に、小さなモックアップも持っていって説明したら、ようやく「分かった」と言ってくれました。
そうやって納得してくれたら、今度は住民に説明する時にも、どんなに反対運動が起ころうとも、オーナーから「これがいちばんよいのだ」ということをとことん説得してくれました。そういうクライアントの姿を見ていて、パリの街で建物がつくられていくというのは、非常に重い意味を持っているのだと分かりました。一方、日本では、一見するときれいな建物がスイスイできてしまう。そのことの意味を最近よく考えさせられます。建築家が社会に認められていないのではないかと思います。これから日本はどうなっていくのかという危惧はあります。
私は日本でひとりでも若い建築家が育っていってほしいと思っていますから、コンペの審査員をしたり、くまもとアートポリスのコミッショナーをしたりしているのですが、なかなか若い人へのチャンスがありません。つくるチャンスはいくらでもあるのに、それを無駄にしているような気がしています。
雨仕舞いというか、屋根を白にするのは実は私も心配でした。それで市長と一緒に屋根に登って、白にするかグレーにするか相談しました。グレーにするよりは掃除の回数は増えると思いますが、それを市長は分かった上で白にさせてくれたと思います。葬儀場という特別な場所で、現実と少し離れた感じをつくりたかったので、できれば白にしたいと思っていたのですね。そこで塗膜防水の上に白の塗装をして、極力汚れが付かないようにしています。樋もメッシュを張っていますから、詰まるようなことはないと思います。いちばん心配なのは軒先ですが、超親水性光触媒塗装という、雨で汚れが落ちる塗料を塗ってあります。
基本的には直交するカルテジアン・グリッドをアルゴリズムによって変形させながら有機的なグリッドに移行させる方法を採っています。しかし、どのように建築をつくっていくかというのは、最後は自分の感覚を信じるしかないと思っています。ものをつくるというのはそういうことだと思います。自分ではルールをつくりたいと言いながらも、そのルールに乗らないところで、建築をつくるのが面白いことだと思います。それを自分以外の人びとにも面白いと思ってもらうには、常に言葉にしていかなければなりません。言葉にならない部分に共感していただける部分もあると思いますが、だからこそ自分で何かの言葉にしていかなくてはならないと思います。
私は、特に白を意識してはいません。白いといっても「瞑想の森市営斎場」では、白いのは屋根と天井だけです。屋根はフワッとした抽象性を持たせたいと思ったので、白くしました。床と壁は大理石ですので、白くはありません。「台中メトロポリタン・オペラハウス」も映像の中で、建物が白いという印象を与えたと思いますが、これからどうなるのか分かりません。現段階の映像というのは、さまざまな要素を取り去った状態で表現していますから。特に床は白くなるかどうか分かりません。
私が言っている「もの」というのは「マテリアル」というよりは「サブスタンス」に近いことです。構造も含めた建築の構成、建築のリアリティのようなことです。そのリアリティというのは過去のリアリズムに戻っていくようなことではなくて、コンピュータ・テクノロジーの先にあるリアリティに迫っていきたいと思っています。そしてある抽象性を持ち続けたいと思っているのですが、そういう想いが「台中メトロポリタン・オペラハウス」の映像において白で表現されているのだと思います。いろんな素材が出てくるということは実体として完成した建物にはあり得ることだと思います。
晩年のル・コルビュジエの作品が好きです。若い頃は初期のル・コルビュジエが好きでした。あれだけ論理的に建築をつくっていたル・コルビュジエが、晩年は自然の中から生じてきたような建築を設計するように変わっていって、理屈もなく豊かさを感じさせる建築へと帰っていったのですね。それが本当に素晴らしいなと思います。人間はどうしても、歳と共に衰えていきます。私も60代の半ばになりまして、体力的には50代の頃より衰えていっています。そういう時に枯れていってしまうのではなくて、土に帰るようなもの、豊かな建築をつくれるというのは本当に天才だと思います。まだまだ自分は「エマージング・グリッド」というような論理的なことを言っていますが、晩年のル・コルビュジエのような豊かな気持ちで建築をつくれるようになれればよいなと思います。
強い建築というと一般的には権威的な建物、あるいはオーダーがはっきりしている建築を指すことが多いと思います。そういうことに対する意味で、「弱い建築」ということを言っている人もいます。私自身では強いという意味は、人間で言うと、最終的にはアフリカにいる人たちが持っているような生命力だと思っています。日本にいると、いろんな技術の精度は上がっていくけれど、人間の生命力は衰えていく一方だと思います。そういった中で、人間らしく、五感に何かを感じさせるような感受性を持った建築、筋肉がきらきらするような建築をつくりたいなと思っています。