アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
私は1956年からセントルイスのワシントン大学に勤めていたのですが、たまたま「豊田講堂」と同じ1960年に「ワシントン大学 スタインバーグ・ホテル」が完成しました。この作品は、私がアメリカで最初に手掛けた仕事でした。設計も1958年くらいから始めていました。
この写真はワシントン大学で教えていた頃のものです。と言っても私自身も30歳前で、GIビルの学生とあまり年は変わらなかったと思います。
ワシントン大学の東側にはセントルイスのスカイラインがフォレストパークを越えて見られ、そこにエーロ・サー リネンの「ジェファーソン・メモリアル・アーチ(ゲートウェイ・アーチ)」(1964年)も見えます。
そしてさらに偶然なんですが、1996年にワシントン大学からお話がありまして、これも「セントルイス・ワシントン大学 サム・フォックス視覚芸術学部」の拡張というかたちで「ミルドレッド・レーン・ケンパー・アートミュージアム」と「アール・E アンド マートル・E ・ウォーカー・ホール」が、2006年という「豊田講堂」改修とほぼ同じ時期に完成しました。この二棟を建てるのには10年かかりました。「サム・フォックス視覚芸術学部」には私が手掛けた「スタインバーグ・ホール」の他に、私が教えていた建築学科の「ギブンス・ホール」(1931年)、それから「ビクスビー・ホール」(1926年)というのがあるんですが、そうした既存の建築群の横に、手狭になった図書機能とギャラリー機能を移すための新しいコンプレックスをつくる、というのが目的でした。
これら既存の建築群がすべてライムストーンの組積造の建物だったので、今回の「ケンパー・アートミュージアム」と「ウォーカー・ホール」も同じライムストーンを外装に用いました。普通ライムストーンというのは、I・Mペイをはじめとして皆、でいるだけ大きいユニットで使おうとします。しかしライムストーンは自然の石ですから、そうするとどうしても色のばらつきが多くなります。そこで今回われわれは、750ミリ×200ミリ(30インチ×8インチ)という、煉瓦より少し大きい単位にプレキャストしたライムストーンを積みました。こうすることで、通常の大きなライムストーンを使うと色違いが目立つのに対して、できるだけ同じ色のもの同士を合わせて積んでいくことができ、同時にかなりシャーップにさまざまな開口との取り合いもできるし、また小さくユニット化することによって煉瓦のような暖かいテクスチュアをつくることができました。またライムストーンの後ろには鉄骨の構造とコンクリートブロックがありますが、200ミリという単位はこのコンクリートブロックのモジュールと大体同じ高さになっています。そこからアングルを出して、組積造と同じようにライムストーンを積んでいきました。ライムストーンの小さいユニットがコンクリートブロックのモジュールに合っていることで、こういうこともできたわけです。
しかしライムストーンは吸湿性がかなり高いので、地面に接触するベースには向きません。そのため古い建物だとベースの石には花崗岩を使うんですが、この場合はちょっと合わないので、テキサスでつくったプレキャスト・コンクリートを使いました。ライムストーンとマッチするように、骨材はできるだけ白い花崗岩を選び、砂もベージュ色のものを選んでPC加工しました。ですから比較的全体が煉瓦づくりに近いテクスチュアがあって、もう少し暖かみのある建物になったと思います。
現在、アメリカの建設産業はたいへん質が低下していますが、少なくとも石や煉瓦の組積造、そして塗装の伝統には素晴らしいものがあり、今回の方法はうまくいきました。その国の持っている伝統や技術を、われわれがどういう風に生かし、新しいかたちをつくっていくのかはひとつの課題です。
もうひとつの課題は、現在特にアメリカで強くなっているユニオンの問題です。ユニオンは自分の職種を守ろうとして、違うユニオン同士が一緒に作業をすることを非常に嫌がります。そこで建築家は、安易に彼らが職種別にできるようなディテールをつくります。しかしたとえば、今言ったプレキャスト・コンクリートをつくるというのはひとつの職種です。それからライムストーンを積むのもひとつの職種、それからサッシュをつくるのもひとつの職種です。これらの職種がどういう風にコーディネートされるかということを考えないと、やはりわれわれの意図したディテールはできないわけです。アメリカの施工業者はこうしたコーディネーションの経験を持っていないことが多いので、やはり日本と比べるとそういった点でたいへんな労力がかかります。