アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

マークアップリンク
トップ
私の建築手法
槇 文彦 - 近作を語る
時と建築
2022
2021
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986

2008 東西アスファルト事業協同組合講演会

近作を語る - 建築のグローバリゼーションの中で考えること

槇 文彦FUMIHIKO MAKI


«前のページへ最初のページへ次のページへ»
時と建築

ジークフリード・ギーディオンも『Space, Time and Architecture』の中で時間について書いていますが、私は数十年間仕事をしてきて、やはり時間と建築は非常に結びつきが強いのではないかと思います。最後に、そのことについて少しお話します。

まず「時とは記憶と経験の宝庫」です。結局建築というのは、できるだけ過去のよいものをさらに展開していくというものです。ライターで言うと、モノを書くためには言葉を知らなければいけませんが、建築の中でもそういう言葉を蓄積していく作業というのは、非常に大事なのではないかと常に考えているわけです。先ほどのステンレスの屋根にしても、新しい技術で新しい形ができているわけですが、これも前にあったものを経験としてベースにしているのです。そうした記憶や経験というのは必ず次のよいものに繋がり、あるいは新しい実験の基となって、蓄積されていきます。そういうことは建築をやっていく上で、われわれの重要なストラテジー(戦略)になっていると思います。

また「時は都市と建築の調停者」です。「ヒルサイドテラス」では、時間が建築と周囲の調停の役目を果たしてくれました。

最後に「時が建築の最終審判者」です。どういう建築がよいのかを決めるのは、時間であるということです。

この間シカゴに行くチャンスがあり、ミース・ファン・デル・ローエの「イリノイ工科大学クラウン・ホール」(1956年)をもう一度見てきたのですが、やはり50年経っても素晴らしいんです。むしろできたばかりの頃よりも、よいのではないかというほどです。つまりここでは建物の空間、素材、それから説明できない時間の流れのようなものが、建築をつくってきてくれたということです。

歴史的な建築では50年、100年というような時を経て、初めて建築の持っているよさや意味が、いろいろなかたちで文化的、美術的に出てくるわけです。なぜ先ほど言ったクオリティというものが大事かというと、そうした「時の最終審査」に残る前に建築が壊れてしまってはしょうがないからです。

古い建物の中には、当時の限られた知識と経験の中で、つくるだけで100年かかった建物というのはいくらでもあるわけです。こうした建物の場合、人びとはつくりながら同時に学んでいったわけですね。そしてできるのが100年後ならば100年は保たなければいけない、という意識が古い時代にはありました。ところが今のようにスクラップ・アンド・ビルドの時代になってくると、建築のクオリティとは一体何なのだろうかと思います。もちろんテンポラリーなものというのはあってよいと思います。しかしその中で、建築やテンポラリーでないものというのは時間とどういう関係を持つべきか、もっと広い意味で問われている時代ではないかと思います。

今日はいろいろな国にいろいろな文化があって、いろいろなやり方があるというお話をしてきました。その中でもやはり、時間についてどう考えるかということは、建築をやっていく上で非常に重要であろうと思います。今日私がお見せしたものは、忘れていただいてよいのです。しかし実際にモノをつくる者や建築をやってきたわれわれにとって、自分の経験したことやこれから経験することについて考え、また時間とは何であり、それがどういう意味を持っているかなどを考え続けることは、非常に大切だと思っております。

«前のページへ最初のページへ次のページへ»