アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
とても基本的なことですが、そのコンペで求められていることについて、要項をよく読んで真摯に考えることでしょうか。また、コンペで負けると悔しいのですが、それは色々なことを考えるチャンスでもあったということで、決して無駄ではなかったと、私は思うようにしています。コンペは、ほかの人から見れば大した違いに見えなかったとしても、より深いレベルで「こういうことが考えられたかもしれない」と掘り下げることができます。もちろん勝てるに越したことはないですが、負けたとしても考える時間をもらうと、時間が少し経った時に違うケースでそのアイデアを応用できる、つまり次のプロジェクトに発展していく時もあります。かつて、若い頃に外国のコンペに参加した時は、勝てるとは思っていなかったのですが、外国のコンペは外国というだけで、日本にはない敷地や条件が提示されるので、そうした環境で建築を考えてみるのが面白いと思って、ずいぶん挑戦しました。もちろん勝つためには、多少のノウハウのようなテクニックも勉強する必要もあると思います。
コンペにどう勝つかというのは、むしろ私たちが聞きたいぐらいで、まったく分からないです(笑)。ただ参加した方がよいと思います。たとえば公共事業のコンペだと、コンペ主催者側が相当な時間とエネルギーをかけて、ものすごい分厚い冊子の応募要項をつくっています。役所の方がた、関係者の方がたが皆さんで議論してつくっていますので、その時代の価値観が凝縮されているのです。建築家としてそれを自分の中で考えて形にしていく行為は、現代的な問題と付き合うことになります。その意味でもコンペに参加し続けるということは、重要なことだと思っています。建築家にとって歴史に接続する価値観を持つことは大切だと思うのですが、同時に現代性というか、移ろいゆく価値観をも同時に持っていたいとも考えています。先ほどの「新香川県立体育館」だと、体育館という名前でありながらコンサートホールとして使うことができる施設になっています。「金沢21世紀美術館」は、美術館でもあり交流館でもある施設。二つの機能を合体させるということ自体が私たちにとっては新しさ、現代性でもあり、歴史性だとも感じています。コンペの要項でも当時の言葉では、まだこの施設を何と形容すればよいか分からない状態でした。そのようなプロジェクトに関わり、形を与えるのは面白いと感じます。
構造が建築の中で一番重要ということで、構造で勝負という時代が私たちにはかつてありました。構造に相当のお金をかけてしまって、仕上げに使う予算がほぼ残っていなくて、ほとんどが白塗りの石膏ボード、というような配分でした。でも最近は時代の変化もあって環境問題も重要なトピックになってきています。また、現地の素材を活用する方が敷地に馴染み、建築的にも自然なものになると感じています。中国の例で言うと、2019年に竣工した「済寧美術館」では煉瓦を用いました。設計期間中は他の地域のプロジェクトのように、アルミパネルとガラスでつくる予定でした。しかし土工事が始まった時に、考えが変わりました。中国ではさっと手軽に土留め工事をする時に、煉瓦を使います。日本人だったらちょっとした段差を堰き止める土留めみたいな簡単なことは、合板や木材を適当に切ってやっちゃったりする。一番安直に手軽にやろうとする時に、日本人なら木を使うけど、彼らは煉瓦を使う。それを見て、煉瓦を使うととても綺麗な建築になるのではないかと思うようになりました。隣にある曲阜(きょくふ)という街には孔子の家が今も残っているのですが、その家もすべて煉瓦でできていて、経年により煉瓦が銀色に輝いていて、とても綺麗です。煉瓦でつくれば施工精度に多少のばらつきがあっても、相当かっこいい建築になるのではないかと感じました。もちろん現地のものがすべてとは言いませんが、力強く生き生きとした建築をつくろうとする時には現地の材料や工法を活用すると、とても伸び伸びとした空間、堂々とした建築がつくれるのではないかと、最近は考えています。
やはりそうした建築物の造形は大きな要素の一つにはなるので、直接的に影響を受けるかは分かりませんが、関係性について考えるとは思います。
ヨーロッパの街に行って感じるのは、街全体が歴史的な建造物の集合であって、街全体が記念碑の集合になっているということです。それらを直接的な引用やコピーすることはないにしても、相当影響を受けると思います。「ボッコーニ大学」の時は、ミラノの街の建物が持っている形式に影響を受けました。また、ミラノの建物は非常に大きくて、4、5メートルのフロアを平気で積み上げるようなスケール感覚があり、日本だと多分ギョッとするような巨大さだと思いますが、ミラノの街を歩いていると意外におかしくない階高なんです。パリでソーシャルハウジングをつくったのですが、そちらは階高が2.5メートルというたいへん低いものでした。ミラノと階高が倍ぐらい違うスケール感の違いも、今思うとパリとミラノの違いが建築に出たのかなと思います。
共同住宅は人間がどう集まって暮らすかの一つのモデルというところがあると思います。社会のあり様を示すと思います。たとえばル・コルビュジエ(1887~1965年)は300万人の都市という概念を提唱しました。当時の都市は3万人や30万人の規模だったわけですが、それに対して300万人の都市というのは、あの時代の人口爆発と近代化によって登場しつつあった巨大都市の象徴で、あの時代の一つの社会のあり様を示したと思います。時代によって、共同住宅は違う姿を取ると思います。私たちは今、多様性がテーマのひとつになっているように思います。色々な人間が集まりつつ、おのおのバラバラでいられる、という集合の形を考えているように思います。もっともそれは共同住宅にとどまりません。最初に示したアルメラのような、劇場と市民センターの合体も、大小さまざまな部屋と機能が同居して、色々な人や色々な活動を同時進行していく。多様性がテーマのひとつです。同じ空間がコピーアンドペーストで並ぶ大量生産の世界ではなく、大小さまざまなものが集まって、色々な境遇の人間が集まるという、多様性のある社会というイメージがあると思います。共同住宅では多様性のモデルを示すことが一つの目標になっていると思います。
僕はT・S・エリオット(1888~1965年)という詩人が好きなのですが、彼は詩の批評家でもあって、重要な言葉をたくさん残しています。過去についても大事な言葉を残しています。彼は詩について、今書かれたばかりの新しい詩はもちろん新しいのだけれども、100年前にあなたが興味も関心もない別の人によって書かれた詩と今あなたが書いている詩は、一体なのだと述べています。僕は建築でも、その言葉通りのことが起きていると感じています。彼はもう一つ、「新しいものをつくるというのは、未来をつくるだけでなく、過去をもつくってしまう」と言っています。たとえば、問題作とされる作品は、それができた当初はともかく問題で、それが何のためにできたとか、それが社会の中で何を意味するとか、そういうひとつの確固たる意味が決まっているわけではないですね。生まれたばかりの赤ちゃんのようなもので、無限の意味がありうる。でもその後、その作品に影響された別の作品がいくつか出てきて、ある決定的な作品が出た時に、最初の問題作が提示した、問題の意味が決まってしまう。エリオットの発言には、建築史の中で建築を考えていると、確かにその通りだなと思うことがいっぱいあります。エリオットは過去の現在的瞬間、「present moment of the past」という言い方をしていますが、現在の中に過去があるというのは、建築の世界でも強く感じることです。切妻屋根とか木造とかを設計で使う時、それらはどれも過去のもので、また現在のものでもあるからですね。
私は犬島で、はじめてリノベーションの設計をしました。その時、古木の表面は濃い色で、新しい材が白っぽいとどうも美しくないと思い、同じように見えた方がよいのではないかと思いました。古いものと新しいものを対比するのではなく、古材を洗浄したり、古材の色に近い新しい材を探してきたりして、二つが混じり合うようなあり方を探しました。そうやって組み上げたら、古い建物には見えませんでした。むしろ新築だと見紛うほどなのですが、本当に新しい建物だと、どこかで緊張感が現れるものですが、そうではなく、古材があることでなんとなく柔らかさを感じる空間になり、これまでとは違った建築が実現できたと感じました。別のプロジェクトでは、天井を取り除くと、さらに古い時代の梁が現れ、修繕しながら使われてきたことが分かりました。私もまた、そこに必要な部材を取り替えながら手を加えて、新しいものをつくりました。リノベーションというのは、ずっと過去から繋がっている時間が積層していることに気付かされました。そして、私がつぎはぎしながらつくったものも、30年も経てば別の建築家が来て、また別の部材を付け加えて蘇らせるだろうことをイメージした時、たとえ新築と言っても、周辺の街並みや材料を手がかりにするわけで、既にある状況に強く影響を受けますので、どこからが新築でどこからがリノベーションかという境目もなくなってくるのではないか、そういうことを犬島で学びました。
相変わらず模型はたくさん制作していますが、使うツールは増えていると思います。私は2013年と今日の講演のテーマが同じであったことにとても驚き、また話したい内容も本質的には同じでした。ずっと同じことに向き合って設計を続けていると改めて感じました。一方で、最近ではそれぞれの地域の素材や文化、そこに流れていた時間を素直に取り入れるような建築の方が、いろいろな関係を広げることができるかもしれないと思うようになりました。土の上にちゃんと建築をつくるという意識を持つようになりましたね。
最近、文章を書いている中で、「流れが集合する」という建築のイメージについて考えるようになりました。たとえば日本の街などは、際限なく続いていくイメージがあります。対して、ヨーロッパの建築では部屋が集合して建築を構成するわけですが、実際に部屋を使おうと思うと、それぞれの繋がりの中で流れというものが必ずできてしまうのですね。それはたとえば機能的な連続性とも言えるし、動線でもあると思います。そういう意味では、日本やアジアでは、部屋が集まって建築になるというヨーロッパのスタイルよりは、流れが集まって建築になるというイメージを私たちは持っているのかもしれないとも思います。ただそれは、まだ自分の中でも設計手法という形に落とし込めるまで言語化できているわけではないので、最近なんとなく考えていること、というレベルです。