アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
私は「死」から「時間」について考えるようになりました。建築家は空間を設計します。例えば住宅でもここに居間があって、ここに寝室があって、ここにお手洗いがあってと、空間を設計するわけです。しかし、よく考えてみると、われわれは時間を設計しているというふうに考えなければいけないのではなないか、と思うようになりました。例えばディテールがありますね。窓枠があって、サッシュがあってコーキングがあって、外壁材がある、あるいは内壁材がある。そこのところに現れてくるディテールは、みなさんはどういうふうにお考えになりますか。
結局、それぞれの持っている時間のオーダー、耐久性とか時間のオーダーというのがあるわけです。それをアッセンブリーして、組み合わせて、どれくらいそれを長い時間そのままの状態を保つことができるかを考えるのが設計ではないでしょうか。みなさんは空間を設計していると思っていますが、実は時間の設計もしているのです。それが意識化されていないだけです。
住宅の竣工写真は空間が成立したことの証しですけれども、本当はそれよりも、そこにどんな生活が生まれたかとか、そこに住んでいる人がどのように生きている時間をもてたかと、要するに、どのような空間を生み出したかよりも、どのような時間を生み出せたかのほうが、建築にとっては大事なのではないかと思うようになりました。
バプル経済のときに建築があまりにも商品化されすぎました。例えばコップをあなたに売りますというときに、売るほうの私は、できるだけたくさんお金をくれるようにデザインします。これは商品のことをいっていますが、建築もそういうふうになってしまった。つまり、ものが代価に変わるときに、一番付加価値が高いような建築のつくり方というものに、質的な変化を遂げたわけです。しかし、そこでやっぱりもう一回よく考えてみようと。本当に建築ってそんなもんだったのかと。車や家電製品のようなかたちに建築がなっていっていいんでしょうかと。もう少し違う価値の提示の仕方が建築のあり方ではないかと思うようになりました。
寡作の建築家といわれていますが、私が海の博物館をやり始めたのが1985年です。実にバブルの前夜でありまして、その後東京で、あるいは東京近郊で仕事をしている人たちはどんどん仕事を受注して、どんどん大きなプロジェクトをやっていました。私だけなぜか伊勢志摩の、東京から四時間半もかかるところのプロジェクトに足を深く突っ込み、それにかかりきりになって七年半を過ごしました。ほとんど食うや食わずでしたけれども、終わってみるとちょうどバブルがはじけていました。「ああいう建築のあり方もあるのか」といってくださる方がいらっしやいますが、私自身はどちらかというと浦島太郎のような感じで、積極的にそういうところに身を置いていたというと格好いいけれども、実際は多分そういう場所に追いやられていたんだと思います。