アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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私の建築手法
内藤 廣 - 建築にできること
「素形」「シェルター」「サイレントアーキテクチャー」
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東西アスファルト事業協同組合講演会

建築にできること

内藤 廣HIROSHI NAITO


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「素形」「シェルター」「サイレントアーキテクチャー」

「素形」って何だといろいろ聞かれますが、これは実体があるようでないようで私自身もよくわかっていません。自分でもよくわからないんです。ただ七年半やっていた中で、たくさんスケッチをしたり、たくさんの事項を決定していったわけですが、どこかの方向を向いているはずだと。細かなベクトルがたくさんあるわけです。そういうものが向いているところをずっと伸ばしていってみると、自分が心の奥底で建物をそちらに向けていこうという焦点のような場所があるんじやないか。その場所を素形と呼んでみようというのがもともとの始まりです。ですから、素形というのは実体があるようでないようで、むしろ私のもっている傾向のようなものの行き着く先を素形と呼んでみようと。これを英語に訳すとき、訳した人が「プロトフォーム」という名前で翻訳をしてくれましたが、多分そういうことをいい始めてもう五年か六年になります。そろそろ疲れてきたかなという感じもあります。

その次に、ある雑誌で私の特集が組まれたときに、素形というのも何だしなあというので、「建築はシェルターだ」というふうにいい切ってもいいのではないかと考えました。先ほどの北海道の話と若干矛盾しますけれども。ちょうどその頃、アルヴァ・アアルトの作品を見たくてフィンランドを旅行しました。森と湖が非常にきれいなところです。森の中にどれも似たかたちのほとんど赤サビ色の板張りで切妻の小さな建物をよく見かけます。納屋かサウナかわからないんですが、そういうものが時たま見えてきます。赤サビ色というのはステインです。外壁の板張りをステインで被覆した屋根だけがかかった建物です。これが実にきれいなんです。それをきれいだと思う気持ちは一体何だろうと。それは建築家が設計したものでもないし、多分材料としてはぎりぎり存在しているものです。そういうものが風景として非常に何か納得できるという実感がありました。

雨が降るから屋根をかける、風が吹くから壁をつくると、もともとそういうものではないかと思いました。建築は、人間がその中でより自由に守られるためにあるのであって、何か建築家が過度の思い入れをしてとんでもない付加価値をつけていろいろ考えるような類いのものではない。もっとシンプルなところに戻してもいいのではないかと思いました。それがシェルターといったきっかけです。どちらかというと、デザインを加えていく方向というのは、化学でいうと、ものを酸化させていく方向で、それと逆の方向、むしろ還元させていく方法というのもあるのではないかと考え、シェルターということをいい始めました。

よく考えてみると、素形は一人称です。私自身の内的な傾向を建築という場所で、少し他人に伝わりやすくなるようにするための一人称です。それを少し広げて二人称にする手続きとして、シェルターのような考え方があるのではないかということです。最後に「サイレントアーキテクチャー」という名前で、今度は自分のつくり出した建物の質を呼んでみようとしています。これは第三者も交えた三人称で語れないか、という試みです。大体五段階ぐらいできているわけです。

なぜサイレントアーキテクチャーというかというと、これもドイツで展覧会をやることになりまして、そのときにタイトルを何にしようかというのでつけた名前です。これはシェルターのような空間の中、要するに建築の中に、何か空気のようなものがあるとすれば、あるいはそういうようなつくり方の中に現れる空間の質のようなものをサイレンスと、これはルイス・カーンもいっていることですけれども、サイレンスということばでいい表すとわかりやすいんじやないかということで、そういう名一削をつけました。ニックネームのようなもので、実態と合ってない場合もありますけれども、そんなことを考えてやってきました。

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