アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
実は、「ふじようちえん」は教育業界では非常に有名です。建築業界より、ずっと有名だと思います。私の友人であるコロンビア大学のある教授が言うには、世界中の英語で書かれた幼稚園関係の論文の50%以上が、「ふじようちえん」について書いているそうです。50%以上というと、アップル社よりもシェアが大きいですが、そのくらい注目されているんですね。では、教育業界にとって「ふじようちえん」の何が特別なのかというと、ひとつは自閉症の子どもが発症しにくいこと。そして、いじめがないこと。さらには、レベルの差はあるとは思いますが、子どもたちの集中力が高いことが挙げられます。
バリ島で、千年以上前から行われているケチャダンスをご存知でしょうか。植民地になったことで一時途絶えていましたが、今また復活されている伝統舞踊です。日本の歌舞伎より歴史が古いです。ある時、知り合いの芸術家・科学者である大橋力さんにお誘いいただき、ジャングルに囲まれたヴィラでケチャダンスを鑑賞する機会がありました。私はケチャダンスをスマートフォンで録画し、後でその映像を見てみたのですが、ずっとギーッという雑音が入り込んでいて、肝心の音が聞こえない。しかし、この雑音は現地ではまったく聞こえませんでした。なぜ聞こえなかったのかというと、大橋さんはがおっしゃるには、ジャングルにいる時には、私たちの頭にあるノイズキャンセリングシステムが働いて、ジャングルのバックグラウンドの音を消すからなのだそうです。しかも、それは電子機器のノイズキャンセリングシステムではできないことなんです。人間の頭では、周波数ではなくて情報として、ジャングルの雑音を消していて、ケチャダンスの音楽だけを聴くことができたのです。
また、大橋さんは、同じようなことが自分たちの身体の中でも働いていることを教えてくださいました。私たちの呼吸の音や血液の流れる音は、実は飛行機のジェットエンジンの音より大きいそうです。このケチャダンスを鑑賞したジャングルの音も七〇デシベルで、これは工事現場の真横にいる時に感じる音の大きさに相当します。血液や呼吸の音は、それよりはるかに大きい。でも、普段はその音は私たちに聞こえません。それは、人間の身体がそういう音をカットするようにできているからなんです。たとえば、皆さんは水の中に潜ると、呼吸の音や、血液の流れるドクンドクンという音が全部返って聞こえる経験をされたことがあると思います。これは普段とは異なる環境にいるからであって、自分の身体が全体の環境の中の一部だという認識があると、人間のノイズキャンセリングシステムが働いて、ちゃんとその音を消してくれるのです。もし、そのシステムが働かないと、きっと人間はおかしくなってしまうのでしょう。
建築の話に戻ると、「ふじようちえん」では部屋と部屋との間に仕切りがないので、隣の部屋の音も全部聞こえます。また、一年間の三分の二は窓を開けっ放しにしていて、外部の音も聞こえてきますから、子どもたちは、雑音の中で暮らしている状態です。そうすると、常にノイズキャンセリングシステムが働くのです。実は、最近の文部科学省の基準には、学校の遮音性能を上げなさいとあるのですが、そうすると逆に子どもたちのノイズキャンセリングシステムは働かなくなってしまう。それが、今の子どもの自閉症の原因になっているのではないか、と考えています。遮音性能の高い建物で過ごすことが多いアメリカの子どもが、自閉症になる確率が他の国と比べていちばん高いというデータもあります。逆に、東南アジアのような外部に開放された環境が多い地域では、ほとんど自閉症は発症しません。だから、現代建築が自閉症をつくっていっているんだ、と近年ではかなり大きな問題になっています。
また、「ふじようちえん」では、しばらくの間毎朝テレビのニュース番組のバックグラウンドに使われていました。テレビカメラが向いていると、普通の幼稚園や小学校では授業が成立しなくなります。しかし、ここの子どもたちは、先生の話を聞き続けることができます。園長先生が言うには「だって、あなたも渋谷の繁華街に行ったって、友だちと話ができるでしょう」とのこと。これも、ノイズキャンセリングシステムが働いているからなんですね。でも、逆にノイズがなくて静かな環境では、子どもたちは何を消してよいのか分からなくなってしまい、精神不安定になって、落ち着かなくなります。授業中の静かな教室では子どもたちはワイワイ騒いでいるけれど、いったん先生が話し始めると気持ちよくなって寝てしまう、というのはそういうこと。ノイズは意外と必要だということです。
また、子どもたちを閉じこめないことも大事です。現在の学校建築は、子どもたちをどう囲うかという話から始まります。実は、文部科学省の設置基準の中でどうしても外せなかった項目がありました。それは、デンをつくって隔離場所を設けよ、というものでした。つまり、自閉症の子どもたちが逃げ込める場所をつくりなさい、ということなのですね。大学で建築を学んだ方は、アメリカの文化人類学者であるエドワード・T・ホール(1914〜2009年)の『かくれた次元』という本をご存知かと思いますが、そこでは、人間は必ず自分の周りにパーソナル・スペースというバブル(泡)のような空間を備えていて、ある距離感を持って生きていると書かれています。自閉症の子どもは、他の子どもよりもその距離がすごく長いのです。そのため、自分が安全だと感じられる距離の内側にまで人が入ってくると、パニックになってしまう。この幼稚園では、子どもに、自分のいる場所が嫌だと思ったら、出て行っても構わないとしています。「幼稚園が丸いので、どうせ出て行ってもぐるっと回って、元に戻ってくるんだから」と園長先生は言います。子どもにとって、閉じ込めないことは、実はけっこうその子を安定させるのです。
また、いじめをなくすことにも繋がります。牢名主(ろうなぬし)という言葉がありますが、これは、あるエリアに人間を閉じ込めると、人間はその中にヒエラルキーをつくろうとし、そのヒエラルキーの下の方では必ずいじめが起きるということのひとつの例です。これは人間だけに限らず、動物園の猿山でも同様のことが起きています。しかし、「ふじようちえん」の開放された環境の中では、ヒエラルキーが生まれる理由が何もありません。
自閉症といじめは、両方共教育界の問題になっています。実は、この問題の原因は建築家や設計者がつくっているのかもしれませんね。立派な建築をつくればつくるほど、子どもたちをだめにしてしまう。昔からあるような、素朴な木造の校舎がいちばん、子どもにとってよいのかもしれません。