アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
日本へくる外国の建築家が「どうして、いまこんなにシルバーが建築家の中で重要視されているのか」といいます。考えてみますと、ほかの国では余りシルバー、シルバーといいません。伊東豊雄さんが『シルバーハット』をやられたのでシルバーという言葉がはやったり、あるいは今度の『藤沢市湘南台文化センター』で長谷川逸子さんの作品に代表される銀色が、何か現代の感性に訴えるところがあるとすると、これはやはりどこか日本的かなという感じもするんですね。日本の昔からある銀色の華やかさと一方において「うつろい」であるとか「ゆらめき」であるとか「流れる」とかいう感覚が、やはりそういうことを支持しているのかもしれません。それを少し前にさかのぼって考えてみますと、これは前にお話ししたり書いたことがあるのですが、亡くなられました村野藤吾先生の作品の中にもそうした「ゆらめき」に対する関心が強く出ていて、それがやはり日本的な美意識として表層に出てきています。
村野先生はいろいろな材料を自由に使われる、その点だけをとってもきわめて天才的な作家であったのですが、特に紙とか布を非常に大胆に使われました。たとえば『八ケ岳美術館(原村歴史民俗資料館)』の天井は皆さんも覚えていらっしやると思いますし、それから村野先生の多くのホテルの内装も、普通、われわれが常識的にやってしまうところをきわめて大胆にしかもあでやかに紙、布を使われます。これは村野先生ご自身の中で先生特有の皮膚的感性ともいうべきか、たとえば建築の要素を人体にたとえますと骨があって肉があって皮膚がある、その中で皮膚の部分を非常に大事にされるというかそこに限りない美の源泉を求められている数少ない建築家のひとりであられた。
もうひとり、印象深い作家の中で、これも先年亡くなりましたカルロ・スカルパというイタリーの建築家がいます。数年前にベニス、ヴェロナヘ行っていくつかの作品を見てきましたが、やはり彼自身、独特の空間に対する感覚を持っています。それは綿密に計算されたといいますか、彼自身の持っているいろいろな材料からそれなりの物質性を取り出して、それで組み立てている空間ですね。ある批評家がいっておりましたが、それを可能にするために、やはりベネチアに古くから伝統的にあった石と金属と左官の職人たちの優れた技術の動員があって、初めてあのような建物ができています。
日本では、たとえば関西の安藤忠雄さんは、コンクリートというものに対して新しい生命感を与えた注目すべき現代作家のひとりですが、やはりそのためにはそれをサポートする職人の技術があって、初めてできることなのです。
現代の日本を見てみますと、工業化社会という厳然とした事実があって、否応なしにわれわれは工業化社会が持っている仕組みとかあり方の中で建築をつくっていかなけれぱなりません。その中で、幸いなことにいまの日本は大変な近代的工業力を持っているために、いろいろな材料で正確にものをつくることができます。と同時に、古くからある素材に対する愛着心といいますか、そういうものを尊ぶ職人も、数は滅っていますが残っています。そのクラフトマンシップとテクノロジー、この二つが日本の建築の基盤を支えているのではないでしょうか。それに対して建築家がどういうふうに向かっていくかというのはかなり現代的なテーマでもあるし、また物質性という問題として先に述べたように永久のテーマでもあるのですが、同時にきわめて現代的なテーマでもあります。そういうものを使える間は、何とかしてそのベストを取り出して建築をつくって、ひとつの時代の証といいますか、−−建築は幸いほかのものに比べて寿命が長いものですから、後世に残していくというかたちで時代の検証をしていくというのも、やはり形態とか空間とかいう議論と並んで大事なことであろうと考えます。できたときどんなに衝撃的な作品でも10年もたてば見るかげもなくなるのでは後世に残らないわけですから。
だいぶ前段のお話が長くなりましたが、この後スライドで、私自身がやってきたことをからめまして物質性についてお話ししたいと思います。それから、きょういらっしやっている方がどちらかというと若い方が非常に多いと思いますので、できれば私自身同じつくる側の立場で、林料というのはこんなふうに考えてみたらいいんじやないかとか、こういうふうに考えてみたらうまくいったとかうまくいかなかったとか、そういうきわめてプラクティカルなレベルでの経験に基づいたお話をしていきたいと思います。しかしもちろん最後の方のプロジェクトはまだでき上っておりませんので、マチエールというような問題を云々するにはまだほど遠いのですが、構想の段階で、いまいった物質性がきわめて濃厚にかかわり合っているという視点から説明したいと思います。