アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
1995年3月に行われた「せんだいメディアテーク」のコンペで二等になった案です。ご存知のように一等を獲得したのは伊東豊雄さんの案です。建物が竣工したのが2000年で、雑誌掲載は2001年3月でした。ということはコンペからちょうど五年経って、建物が竣工して、その半年後にメディアに出たということです。ここに先はどのマスタープランと実現したものとのギャップを考えるひとつのヒントがあります。
このコンペでは、図書館、メディアセンター、ギャラリーなどの異なる用途を、ひとつの場所の、ひとつの建物に組み込む意味を考えることが求められました。もともと別々のものとして建てられる予定だったのを、仙台市が調整してひとつの敷地にまとめて建てるという条件を整え、審査委員長の磯崎新さんがその意味を問うたのです。これから発達していくメディアテクノロジーを使ってこそできる新しい図書館像を模索してほしいと要項でうたわれていました。
普通に考えれば、用途を層でわけるというシンガポールのチャイナタウンコンプレックスと同じような手法の案になります。それに対して私の案は、タイのMBKセンターのような手法のものです。とはいっても、バンコクの「MBKセンター」や「レイルウェイ・マーケット」を発見したのはこのコンペよりずっと後のことなのですが、図書館、メディアセンター、ギャラリーを切り刻んで、まるでルービックキューブのように組み合わせてシャッフルしたようなものをつくりたいと考えたのです。
1995年は阪神・淡路大震災があり、携帯電話や電子メールもそれほど普及していなかった頃です。計画から五年かかってできる建物で、できあがってから50年は使うことを想像しなくてはいけません。激変するメディアテクノロジーの五年後を想像するのはとても難しいことです。ですが、日進月歩で変わっていき、小型化やそれまであり得なかった技術ができあがってくることだけは確かなことだと思ったのです。どんどん技術が変わっていくときに、どのような姿の建築をつくつたらいいのかを最初に考えるべきだと思いました。
結論として、メディアや電子技術が発達していけばいくほど、どの情報がほしいかを明確にわかっている人はおそらく外出しなくなります。あらゆる情報を自分のパソコンで手に入れることができるため、外へ出かけていく意味がなくなるからです。そうなったときに、建築という古めかしい器が何の役割を果たすのか。もしかすると建築というものは、ほしい情報がわかっている人には不要になるかもしれませんが、ほしい情報がわからないという人には大事なのではないかと思いました。物理的な場所があって、そこへ出かけて何かを見たり、人に会ったりすることで必要な情報を探し当てることができるのではないかと思ったのです。ヴァーチャルなメディアが発達すればするはど、実際にそこへ行かなければいけないリアルな空間や人との直接的な出会いが、よりいっそう大事になります。昨日までの自分が知らなかった自分に出会うための場所、つまりそこに行くとそれまで関心すらもつことがなかったものに偶然出会ってしまう、無数にすれ違ってしまえるような場所がメディアテークと呼べるのではないかと考えました。図書館に行こうと思った人が自然にギャラリーを通り抜けてしまったり、ギャラリーに絵を見にきた人が図書館の中を通ったりする、錯綜するメディアの森をつくろうというのが案の骨子となりました。
どの階にも図書館の本棚があり、どの階もギャラリーや音楽会に使える空間になっています。本棚に自分の好きな本を見つけたら、その場で電子的に貸し出しの処理ができて、その階で読んでいようとギャラリーやカフェで読んでいようと、外の並木道で読んでいようと家にもって帰ろうと構いません。コンペ時はこの処理をバーコードでしようと考えていましたが、今ならRFIDタグ(ICチップ)でやることになります。本を借りて読み終わったらどの本棚へ返してもいいシステムにしたいと考えていたのですが、図書館の司書の方から、元の場所へ戻さないと困るといわれてしまいました。でも、返却のときにもう一度電子登録するわけですから、その本のある場所はそのつどコンピュータで探すことができるので大丈夫だと説明しました。図書分類上の整理はコンピュータの中でやって、実際には、たまたまその場所に置かれた本だけでできている空間がつくりたかったのです。本のジャンルや中身はいろいろなものが集まりますが、たったひとつの共通点は、この場所が好きな人がもってきた本が集まって置かれていることです。それが面白いと思いました。きっと屋上が好きな人と地下が好きな人ではぜんぜん好みが違っているだろうし、しかもそれはずっと固定しているものではないから、去年までは三階はいい本が集まっていたのに最近はダメになったなとか、今年は屋上が面白くなっているとか、図書館の中に小さな空間の個性のようなものが生れてくるのではないかと思ったのです。
また、画家が個展を開くようなときでも、内部のさまざまな場所に個性のようなものがあれば、どこで開くかの判断基準になると思うのです。どの場所を使おうかと考えたとき、そこにくる人の傾向を見て考えることが可能です。
こういうことは、そっくりそのまま都市の中に見ることができます。あるとき、ある場所が何かのメッカになって、お客さんが集まってきて、それを当てにした店も開かれて盛り上がってくる。でも、それには流行り廃りがあって、絶えず変わることでもあります。
ひとつはコンピュータの技術によって、もうひとつはこの場所が好きという人の好みによって、二重に本が管理された図書館がつくりたかったのです。本を読もうと思っていなくても、何となくあの場所は気持ちがいいからと散歩しに行ったり、どんな本がきているかなとのぞきに行きたくなるような図書館が世界ではじめて生まれるはずでした。
最終審査で「停電のときはどうするのか」と聞かれて、その頃まだ経験が足りなくて口籠ってしまいましたが、本当は、停電のときこそおもしろいのです。コンピュータに頼れないから、あっちの方がおもしろそうだなとか、こっちに行ってみたいなとかいった自分の動物的な感覚によって行動することになり、そこから生まれてくる空間の個性を見てみたい気がします。バーチャルとリアルでいえば、リアルな空間がもっていなくてはいけない「空間と人間の関係」というのが停電の時にこそ生まれるのです。そう答えていればコンペ結果はもう少し違っていたのかもしれませんね(笑)。
そういうことを考えているときに、物理学者の津田一郎さんのおもしろい考えに出会いました。津田さんは、脳にもともと視覚や味覚をつかさどるそれぞれのパーツがあるわけではないとおっしゃっています。基本的には同じタイプの脳細胞が脳全体として機能しているうちに、だんだんとそれぞれの役割分担ができてくるというのです。ある部分が損傷を受けると、そこを迂回する回路ができて、ほかの部分が負担するようになったりする。この考え方を「動的な脳」とおしゃっています。先ほどの話でいえば、機能分担して計画された器官が組み合わされているのではなくて、システムとしてダイナミックに働いているうちに役割分担をするようになる。これは都市にそっくり当てはまる考え方です。
バンコクのマーケットにせよ、津田さんの動的脳観にせよ、それを知る以前にメディアテークのコンペで私がすでに考えていたんだぞといいたいわけではありません。あの案を考えていなければ、出会ってもおもしろいと思わなかったし、思ったとしても興味本位の類で、その中にある本質はけっして見えなかったと思います。考える基礎があったから、観察する対象の中から可能性のある本質が見えたのではないかと思います。
コンペ後に藤森照信さんから「形の伊東か、言葉の古谷か」といわれたりしましたが、今にして思うと、私は言葉として追求すべきことがいっぱいあったのに、それが足らなかったのだと思います。