アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
香港の高密度アパートにギュウギュウにつめこまれて住んでいる人びとは、まさに血液として働いています。ひと部屋の単位ではなく、ひとベッドごとに人に貸しています。ベッドの中はプライベートスペース、それ以外のバスやトイレは共用。そうでなければこれはど高密度で人は生きていけません。
一方、東京の隅田川沿いに、社会から押し出された人たちの住まいがあります。この香港と隅田川の生活を比べると、同じように思われるかもしれませんが、まったく違うものです。香港のベッドを借りている人たちは、政府から低所得者向けのアパートを供給してもらえるのにそこには行かないのです。中心部から地下鉄で20分も離れている場所の住まいでは、彼らが日常的に得ている仕事ができないからです。彼らは都市を活性化するためのヘモグロビンです。日々の仕事を得ることができる状態が必要なのです。
ところが隅田川沿いに住むということは、むしろ押し出されている状態で、ヘモグロビンとして都市を支えていることにはなりません。公園の中もしかりです。公園にいるということを享受していませんし、都市の一部となってはいないからです。
早稲田大学のある新大久保あたりには、路上にコインロッカーがあります。いきなり、突然に、という感じで置かれているのです。外国人が狭いアパートに何人も一緒に住んでいるので、大事なものを入れるなど、究極のプライベートスペースとして使われているのです。また、古いマンションの一室が教会になって、近くに住む韓国人にとってのコミュニティセンターとして機能しているという場所があります。これも実は使おうとする人の側が考えた場所で、計画されたものではありません。
こういった都市の現実のため、東京は水平に広がりすぎています。絶えず多くの人が遠距離から通勤して、多くの物資が行き来するという状態が問題となっています。
それをもう一回立体的に組み合わせることで解決できないかと考えたものが「ハイパースパイラル」の計画案です。メディアテークのコンペの翌年に、あるシンポジウムに招かれたパウロ・ソレリ、レム・コールハースと私が1000メートルのビルが建てられるとしたらどんなデザインにするかというテーマで提案したものです。
高密度でしかし平べったく詰まっているものを起こして、風通しがよくて機能性のある立体都市をつくれないかと考えたのが発端です。私は世界一高いビルを建てるという意味での興味はなかったのですが、超高層が建てられる技術があるならどういう使い道があるかと考えました。この平面的に建て詰まっているところを立体的にすかすかした状態にして、東京駅の真上に計画します。ソレリ氏の案は、自給自足が可能なタワーがアリゾナ砂漠に建つという提案でした。超高層の第一世代的といえる案だと思います。コールハース氏の提案は、何本かのシャフトが複雑に絡み合っているもので、タイのバンコクに計画するというものでした。一本は斜めになってチャオプラヤ川を横切っていました。ちょうど今、彼が韓国のソウルで提案している連結超高層ビルのアイデアと同じものです。彼にとってもこのシンポジウムのときにつくつたハイパービルは「ミライのタネ」になっているようですね。
最初、私たちはレムに近いものを考えていました。どうしてかというと、1993年2月にワールドトレードセンターが最初の爆発テロに見舞われたときに、たった数発の爆弾が地下駐車場で爆発しただけで一棟まるまる麻痺してしまい、もう一棟は何の変化もないという不思議な光景を目にしたからです。超高層ビルの一棟に一万人以上がいて、もはや都市ともいえるようなものなのに地上にしか出口がないという巨大な袋小路について考えさせられました2001年の9・11のテロのときにも、ビルの中にいた人は階段を降りて地上に行くしか逃げる道はありませんでした。それはよくないなということで、連結超高層のアイデアになるのです。原広司さんの「梅田スカイビル」もそれに近いもので、一カ所がだめでももう一カ所に出口があるというものです。それをもっと複数繰り返していったものがレムの提案で、複数のシャフトが複雑につながりあっているものです。
ところが、レムの提案もあまりにも巨大なので、いっペんに建てるのではなくて段階的に建てる計画でした。しかし、本当に成長させるのには無理があります。上に載せるためには、あらかじめその荷重に見合う基礎ができていなくてはいけないからです。私たちの案は横に延びていって、その分の荷重は新しい脚で支えるというものです。鉛直荷重を支えながらどんどん増殖していけるような構造を考えました。生産される場所があり、消費する場所があり、廃棄されたり、効率よくリサイクルしたりするためにも都市を組み立てて立体化するという提案です。
空洞化した都心に成長可能なかたちをつくる計画で、何年も先の最終的なかたちは僕が決めるのではありません。何百年かの歳月をかけてつくられるもので、将来の人がそのときの状況に応じて変えられるような、つまり最終型のない立体都市のデザインに超高層を考えてはどうかというのが私たちの提案でした。脚の部分にはマルチ・デッキ・エレベータが入っていて既存の地下鉄駅につながっています。普通の高層ビルにはエレベータしか入っていませんが、ここにはいろいろな種類の交通が入っています。プロセスも一応提案しましたが、それ自体にあまり意味はありません。30世紀頃の人が決めることもあるでしょうから、本来は未定でもいいのです。ただ、将来のかたちが自由になる建築というのは、なかなか実現できないものでもあります。