アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
モンゴルのウランバートルです。もともとは遊牧民の国ですが、首都は都市化してしまっています。ソビエト型の社会主義的で建設されたために、工業地帯があり商業地帝があり住居地帯がありますが、これが本来遊牧民である彼らの生活スタイルに合っているとは思えません。
モンゴルの民族衣装のデールは、日本のどてらのようなものです。夏にはこの下にTシャツを一枚だけ着て、冬になればセーターやトレーナーを着込んで毛皮もつけたりしますが、いつも上からデールを羽織り、帯で縛って着るというスタイルです。寒いときには厚着して、暑いときには薄着にして、袖をまくったりして簡単に調節が可能です。パオ(包)はモンゴル語ではゲル(家)といいます。ゲルの骨組みは木でできていて、上にフェルトを掛けて綿の布をかけて縛ります。夏になるとフェルトを一枚にして、裾をまくつたりして風通しをよくして紐で縛ります。冬になるとフェルトを三重にして裾にはスパッツのようなものをつけて、扉にも動物の毛をつめて断熱性を高めます。ちょうどデールと同じように温度を調節するのです。厚着したり薄着したり、こんなに自由に調節できる家は世界中、どこにもないわけで、大いに学ばなくてはならないものです。
もっとも驚いたのは、水や電気やガスなどのインフラがまったくないところにたったひと家族で住んでいる人たちがいるということです。風力で電気を起こして、ランプを灯しています。パラボラアンテナもあって、衛星放送で朝青龍の相撲を見たりしています。一体この人たちの生活は新しいのか古いのか、よくわからなくなります。
ゲルというのは円形の家で間仕切りがありません。プライバシーはなくて、客人がいてもみんな一緒に雑魚寝します。なんでこんな家ができるんだろうかと思うのですが、彼らにとっては外の広大な草原が圧倒的にプライベートな空間なんです。めったに人に出会わないから放牧している間はどんな姿でいても構わない。むしろ家は一日の仕事を終えて帰ってきて家族と会い、たまには親戚や客人に会う場所でもあります。家が人と人が会う場所であるからこそ、中に間仕切りはありません。広い荒野の中で、ここをめざしてきた人と会うため場所だから、ゲルの中はプライバシーを守る必要がないのです。
日本、特に東京や大阪のような大都市で暮らした場合、確かに人間には会っていますが、知り合いに会うという意味でいったら、家の外ははとんどプライベートな空間みたいなものです。にもかかわらず、日本の場合は家に帰ってもそこには仕切りがあって、家族と会いにくくなっている。これは考え直したほうがよいように思います。私たちは確かにコミュニケーションのための情報やメディアや技術はたくさんもっていますが、でもマイナス30度の真冬に父親ひとりで家族全員を守れるサバイバル技術はもち合わしていません。古いか新しいかわからない生活といいましたが、モンゴルの人たちは水も電気もガスもないところで自活できる能力をもって、同時に世界情報にもリンクしているのです。これをふたつとももっているというのは、まったく新しい生活だと思います。
このモンゴルの首都ウランバートルでも、アーバンスプロールが始まっています。次々に地方から人がやってきて、もってきたゲルを建てて、どんどん都市が広がってきています。高密度で都市化・定住化したゲルを放っておくと悲惨な状態になってしまいかねません。でも、モンゴル人は優れた特徴をもっています。確かに都市化してきて無秩序に広がりつつあるのですが、ゲルですから、立ち退いた後はまたたく間に自然が戻ってきます。
それに比べ日本の都市は、建物をどかしたからといって上手く土地が自然に帰ることはありません。アーバンスプロールは深刻な問題ですが、彼らの場合、まだ救いようがあるような気がします。私たちの住んでいる都市はもっと重症で、しかも人口の減少に直面しています。日本の人口は減り、高齢者は増え、建ててしまった建築は余っていきます。都市を縮小しなくてはいけない今、彼らよりずっとはるかに深刻な問題を抱えているといわざるを得ないのではないでしょうか。