アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
私が設計した「せんだいメディアテーク(2002年)」が被災したこともあり、震災後、2011年5月から東北に通い始めました。この一年間かなりの頻度で、岩手県の釜石市の復興のお手伝いをして参りましたので、その話からまずスタートしたいと思います。
東日本大震災後一年ということで、テレビでも津波の映像が流れていました。皆さんもご覧になられたと思います。震災の後、私も釜石市の中心部の辺りをずいぶん歩きました。この中心部が面している湾の入り口には、湾口防[注1]と街の人が呼んでいる立派な防潮堤があります。
湾口防は30年かけてつくられた、世界でも有数の防潮堤です。しかし、それができてから3年で被災してしまいました。それにより、商店街がある釜石市の中心部が大きな被害を受けました。
住民の方々には、自治体の提案する土地利用計画案のような図を基に、復興に向けての説明がなされています。しかし、なかなかこのような図を見ても、住民にとってはどのような街になるのか想像がつかないものです。
こうした図の中には、震災後、私たちが考えてきたことや、さまざまな津波のシミュレーション、住民の意見が、少なからず反映されています。しかし、これでいくぞ、というような復興のマスタープランができているわけでもありませんし、一年経てばまたこの復興計画も変わっていくでしょう。状況が刻々と変わっていく中にあって、一体私たちは何をお手伝いできるのかを、考え続けてきました。
たとえば、これからお話する斜面の集合住居などは、住民の意見を受けて私たちが提案したものです。私たちは自治体がつくる抽象的な絵に対して、もっと街の人たちの意志を汲んで、そしてその意志をどうやって計画の中に組み入れていくことができるかを考えています。かなり組み入れられてはいますが、難しい面も多々あります。
また一方、市の中心となる商店街には新たに大型の店舗が入ることが決まりつつあります。大型の店舗が入った時に、かつての商店街はどうなるのでしょう。この商店街には、ほとんど半壊した商店を復旧するために頑張っている人たちがたくさんいます。大型店舗が入ることがこの商店街の復活にとってよいことなのか。復興計画を考えるにあたって全員が、そういった非常に難しい判断をひとつひとつ迫られるのです。
そこで、先ほどの土地利用計画案を取り入れつつ、もう少し街の人たちに分かりやすいイメージを、2011年の夏から何度か私たちも描いてきました。もう少し具体的に、こんな街にしたらよいのではないか、という絵を描き、街の人たちに提案し続けてきています。今日は、その一部をご紹介したいと思います。
[注1] 釜石港湾口防潮堤の略。1978年より、世界最大の水深(水深63メートル)に設置される湾口防潮堤として建設が始まり、2008年に完成。