アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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伊東豊雄 - 東日本大震災後の一年を考える
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東日本大震災後の一年を考える

伊東 豊雄TOYO ITO


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鵜住居地区
鵜住居地区模型図
鵜住居地区模型俯瞰。

釜石市の北に位置する鵜住居地区でも、防潮堤に対する提案を行いました。この地区は住宅が多く、釜石市では東部地区と並んでもうひとつの大きな湾に面しています。鵜住居地区には湾口防がないので、今回の震災のような大規模な津波を防ぐためには、現状で数メートルしかない防潮堤を15メートルにしなければならないというシミュレーションの結果が出ました。15メートルの防潮堤というと、とんでもない高さであり、本当につくったら巨大なコンクリートの壁になってしまい、海も見えなくなります。海沿いには鳥たちが生息していたビオトープがあるのですが、それもなくなってしまいます。その巨大な防潮堤をつくる代替案として、ビオトープを活かしながら、15メートルの防潮堤を兼ねたラグビーのスタジアムをつくるという提案をしています。

実は釜石市では、2019年にラグビーのワールドカップが日本で行われる時に、是非スタジアムをつくって、1ゲームでもよいから呼びたいと言っているのです。皆さんご存じの通り、「新日鐵釜石ラグビー部」は、1977〜1985年に、全日本選手権で七連覇しました。今はそんなに強くないのですが、街の人たちは今でもラグビーを誇りに思っています。そういう意図があったので、それなら防潮堤をスタンドとしてスタジアムをつくれば、コストも抑えられるのではないか、と提案をしました。

こういう提案も、よいアイデアだとは言ってもらえるのですけれども、実際には防潮堤の建設には予算が組まれていて、それ以外のことはやってはいけないのです。防潮堤は防潮堤、公園は公園でまた別、というような縦割り行政の仕組みの中で、その両方を兼ねた提案がなかなか実現しない。何とかして仕組みや制度をかいくぐって提案しないと、先ほどお話したような復興計画はどこの街でも同じように線引きされてしまい実現できません。また、現在仮設住宅に住んでいる人は二、三年後には公営住宅に移っていきますが、その公営住宅もまた、仮設住宅を縦積みにしたような団地のような風景となり、釜石市も石巻市もみんな同じような風景になってしまうに違いありません。そうではなくて、釜石市の人たちが本当に、「私たちの街はこうなるんだ」という誇りを持って、自分たちの街をつくることに力を注いでくれるような街にしていかないと、若い人はどんどん街から出ていってしまうと思います。

学校の問題も同じで、私たちは学校も山の斜面につくろうという提案をしています。住民の人は、「ここにまた学校ができたら、このエリアは学校をベースにして復活するに違いない」と大変喜んでくれますが、教育委員会は、「もっと安全なところにつくった方がよい」と反対し、なかなか議論の結論が出ない状態が続いています。私は、震災によって「釜石らしさ」がなくなってしまったのだから、こういう時にこそ新しい挑戦をし、「釜石らしさ」を発見しなくてはいけないと思うのです。

「せんだいメディアテーク」外観画像
「せんだいメディアテーク」外観。

「せんだいメディアテーク」を設計した時も、最初に、役所の人から「メディアテークをつくることで仙台らしさをデザインしてください」と言われました。「仙台らしさ」をデザインする、とはどういうことでしょうか。その街らしさは、何もしなくてもあるものではなくて、街の人たちとつくり、発見していくものなのです。今、「せんだいメディアテーク」に多くの人が関わることで、「仙台らしさ」が生まれてきたのではないかと思っています。実際に、震災後2カ月の休館の後、再開した「せんだいメディアテーク」に多くの人が集まってきてくれて、そこでイベントや展示などさまざまな試みが行われました。

2012年3月13日に、「せんだいメディアテーク」の企画・活動支援室長の甲斐賢治さんが芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞しました。市民や専門家が協同し、震災復興の過程を発信、記録保存する「3がつ11にちをわすれないためにセンター」という小さなスペースを開設したことに対する賞です。「せんだいメディアテーク」はそうやって人びとの集まるサロンのような場所になり得たわけで、何かをつくることでその街らしさであるとか、建築らしさが生まれてくるのだと思います。そういうことがすごく大事で、釜石市でも街の人たちが誇れる街をどうやったらつくれるのか、これからも一緒になって考えていきたいと思っているところです。

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