アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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伊東豊雄 - 東日本大震災後の一年を考える
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2011 東西アスファルト事業協同組合講演会

東日本大震災後の一年を考える

伊東 豊雄TOYO ITO


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斜面の家

釜石市の復興に対して、住居エリアはどうなるのか、役所はどうなるのか、という部分的な提案を私たちがビジュアライズしてきました。この中でも、最も街の人たちに評判がよかったのが「斜面の家」というものです。

「斜面の家」模型
「斜面の家」模型。
「斜面の家」断面図
「斜面の家」断面
「斜面の家」2階平面図
「斜面の家」2階平面

現在閉鎖している魚市場には以前は加工の冷凍庫や加工場があり、山側のところには漁師の人たちや加工場に勤める人たちが住んでいました。その人たちが今、仮設住宅などに皆住まざるを得なくなっている。政府の方針によって、安心・安全のために高台に移りなさいと言われています。しかし、釜石市などでは本当に奥地に入らないとそういった高台はないので、漁師の人たちは、「それでは商売にならない。元もと住んでいた場所には住めないとしても、何とかしてその極力近いところに住めたらありがたい」と言っています。

そこで高台の斜面に、現存する避難路と直接結ばれるような集合住宅をつくることを提案します。この「斜面の家」は数階建てのもので、海に面して大きなテラスがあり、後ろ側に斜面の擁壁から垂直に壁を立てることで、構造を持たせています。この場所は、一階を駐車場にして、二階くらいの高さであれば津波の被害がなく住むことが可能というエリアなので、二階以上を住宅とします。また、避難路の下は現在はコンクリートの斜面になっていますが、その擁壁を隠すという面でも、斜面に集合住宅をつくることは有効だと考えています。

こうした提案をすると、漁師の人たちは、「是非つくってほしい」と本当に喜んでくれます。なぜ元もと住んでいた海沿いの場所に戻りたいのかというと、仕事の問題と同時に、昔一緒に住んでいた仲間たちとこれからも一緒に暮らしていきたいという、東京などの都心部では考えられないような理由があるからなのです。昔からのコミュニティでは、近所づきあいを本当に大事にしているので、住民の人たちがまた、こうした集合住宅で一緒に住むことができるとよいなと思います。

私も小さい頃、田舎に住んでいました。田舎の人は、玄関からではなく庭先の縁側の方から気軽に声を掛けて、用がなくとも近所の家を訪ねます。だからここでも、建物中央に階段とエレベータを付け、そこを共同の場所にして、漁師で言う番屋に相当する、少し泊まったり、作業をしたりする場所をつくります。縁側から気軽に入っていけるような、ワンフロアが四戸くらいしかない、そんな集合住宅をつくる提案をしています。

さらに、「斜面の家」を片側だけでなく両側にふたつ合わせたような、合掌造に似たかたちの集合住宅「段々の家」も提案しました。前述した「斜面の家」のように、さまざまな考えを通して出てきた案でしたが、何人かの建築家の方からは、「伊東はこんなことをやってよいのか」、「いきなり合掌造なんてことを言ってよいのか」と言われることもありました。

「段々の家」断面図
「段々の家」断面

「段々の家」は非常に小さなもので、15戸から20戸くらいが入り、高さが20メートルくらいの、四階建ての集合住居です。基本構造は鉄筋コンクリート造で、表面だけ木で覆います。高齢者やひとりで住んでいる人も多いので、そういう人たちがいつも一緒に暮らしていることを実感できるような、東京で言えばシェアハウスのようなものをつくりたいのです。これから、プランなどをさらに詰めて考えていかなくてはならないと思っています。

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