アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
2011年の夏に、愛媛県今治市に所属する瀬戸内海の大三島に三つの建築がオープンしました。「スティールハット(2011年)」、「シルバーハット(2011年)」と、「今治市岩田健母と子のミュージアム(2011年)」です。大三島は東京からは行きにくい場所ですけれども、瀬戸内しまなみ海道で広島県尾道市とつながっている島で、ミカン畑が広がる素晴らしい眺めの場所です。「スティールハット」、「シルバーハット」のふたつの建築は、「今治市伊東豊雄建築ミュージアム」という、ひとつの美術館としてオープンしました。
「シルバーハット」は私が設計し、1984年に竣工した自宅です。私の妻が亡くなり、私は今はマンションに暮らしているので、この地に寄付させていただきました。「スティールハット」が先に計画されており、それに伴って「シルバーハット」を若い人のワークショップの場として提案しました。屋内はワンフロアだけで、あとは屋根が架かっているだけのほぼ屋外というような空間です。東京での竣工時はスペースフレームの上の屋根パネルは長尺アルミでつくられていたのですが、今回はガルバリウム鋼板とし、台風でも飛ばないような屋根をつくりました。
以前、キッチンとダイニングだったところはアーカイブのスペースとして、今までつくってきた作品のファイルやコンペティションのファイル、出版物などを少しずつ増やして並べていく予定です。そして二階の子供部屋だったところが、海を眺めながらそれらを閲覧できるスペースになっており、アーカイブ、閲覧スペースだけは屋内になっています。
そもそも、なぜ「今治市伊東豊雄建築ミュージアム」が今治市にできたか、という話をしたいと思います。大三島には2004年に開館した「ところミュージアム」という小さな現代彫刻の美術館があります。横浜に住んでいる実業家の所敦夫さんが、ご自身のコレクションを展示する「ところミュージアム」を大三島に寄付されました。
その所さんから、ここにもうひとつ、新しい美術館の設計を依頼されていました。しかしいろいろな話をしているうちに、所さんが「伊東さんは若い建築家を育てたいのだったら、ここでやればよいじゃないか、私のミュージアムでなくてよいから、伊東さんのミュージアムをつくったらどうか」と言ってくださったのです。大変ありがたい話なのですが、私は大三島にそれまで行ったこともありませんでしたし、今治市は2013年に生誕百年になられる丹下健三(1913〜2005年)先生がお育ちになった場所でもあります。そのお膝元に私の美術館ができるのは最初、少しためらいがありましたが、今治市の方々が積極的に話を進めてくださりました。このような経緯で、所さんが今治市に寄付されたことで「スティールハット」が建てられ、「シルバーハット」と合わせてひとつの美術館として実現することになったのです。
「スティールハット」はいくつかの多面体を組み合わせて、外壁が全部船のように溶接された鉄板でできています。基本的に、八面体と四面体、立方八面体[注6]の、三種類の多面体を基に構成されています。さらにそのうちの四面体を反転した立体を合わせて、四つの多面体を全部組み合わせていき、建築をつくりました。
「今治市伊東豊雄建築ミュージアム」の開館記念展覧会として2011年7月から「新たなる船出」と題して展示をしています。今治市は港町ですが、1999年に瀬戸内しまなみ海道が開通してからフェリーなどもあまり稼働しなくなり、港がさびれているので、もう一回これを機に、今治市が新たに出発しなくてはならないという意味を込めています。また、日本全体がこの震災を機にもう一度、これからの日本をどうするのかということを考えなくてはいけない時期ではないか、という想いも込めました。
[注6] 正八面体の各頂点を辺の中心まで切り落とした立体。