アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
そうした復興に向けた取り組みのひとつとして、「みんなの家」をつくる、ということを始めました。釜石市全体の復興計画には時間もかかりますし、マスタープランをつくり、こんな街になります、というようなことは誰も言えません。ですから私はすぐ、今日からできることを始めようと思いました。とにかく今回は行動を起こそうと思って、震災後、山本理顕さん、内藤廣さん、隈 研吾さん、妹島和世さんという四人の建築家と一緒に、「帰心の会」というボランタリーな会をつくりました。この「帰心の会」でお金を集めて、「みんなの家」を被災地につくっていこうというプロジェクトについてご紹介します。
まず震災後、被災者の方々は体育館で雑魚寝をして、一時を過ごされたわけですね。そこにパーティションを立てにいった建築家も多くいました。それから6月くらいに被災者の方々は仮設住宅に移られました。
石巻の仮設住宅などは結構大きなものですが、基本的にどこへ行っても同じような風景が展開されています。確かにプライバシーは確保したけれども、それ以上のものにはなりません。もちろん、体育館より多少性能はよいでしょう。ところが、体育館を訪ねた際、被災者の方から「体育館にいたら昔の友だちと何人かでご飯を食べられるけれども、仮設住宅へ行ってしまったらみんなバラバラになってしまう」という声を聞きました。このように、仮設住宅では人が集まる場所がないのです。集会所はあるけれども、それはあくまで集会するための施設であって、ここに住んでいる人たちがお互いにコミュニケーションを交わすような場所になっていないのです。