アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
釜石市は、湾が20カ所ほど南北につながった典型的なリアス式海岸の街で、海沿いに小さな集落がたくさんあります。その中の東部地区と呼ばれる中心市街地における、商店街に対する提案と防潮堤に対する提案のふたつをご紹介します。
釜石市東部地区の商店街に対する提案は、私たちが2011年の暮れに提案したものです。街の中心部に新しく大型店舗が建つことは、街にとってありがたいことだと、全体としては言われています。しかし大型店舗ができた時に、どうすれば景観がよくなり、なおかつ復興するべき商店街とどのように共生していくことができるのか、ということを考えました。
釜石市役所へ向かう通りには桜並木があり、そこに岡村製作所と新日本製鐵が合弁でつくった「NSオカムラ」という会社の工場があります。これが震災によって三分の一ほど壊れてしまいました。ただ、建物自体は今は改修され、今後オフィスや倉庫として使われるそうです。そこで私たちがこの「NSオカムラ」の工場を借りて、とりあえず仮設でもよいので、新規大型店舗の一部として使ってはどうか、と考えました。この工場は非常に見事な鉄骨の架構でできているので、この空間を活かし、フィッシャマンズワーフ[注2]のようにイベントを行ったり、魚市場として使ったりする提案をしています。さらに釜石市にかつてあった橋上市場[注3]を、旧工場の二階で復活させることも可能ではないかと思います。
これは新日本製鐵と特に話をして提案をしているわけではなく、一方的なものですが、このような提案をすると街の人はとてもありがたがってくれます。
次は、釜石市東部地区の防潮堤に対する提案です。
今回の震災後、岩手県によるシミュレーションの結果、津波を防ぐには海岸端の防潮堤の高さを今までよりも数メートル高くしなければならないことになりました。その高さは場所によって異なりますが、今回の津波で被害を受けなかったところまで同じように高くする必要はない。そこまで高くすると、ほとんどどの地域でも海は見えなくなってしまいます。
そこで、明治三陸大津波[注4]という、今回の震災での津波よりもう少し被害の小さかった津波をベースにして、防潮堤の高さを決めました。しかし、やはりそれだけでは防潮としてはやや不十分なので、第二防潮堤に相当するようなマウンドをつくる計画が、市で最近決まりました。
現状では、釜石市の避難路というのは山の裾にありますが、住民にはなかなか普段から避難路の方へ行く習慣がありません。ですから、いざという時に避難路まで逃げられず、亡くなった方が多くいます。マウンドをつくるならば、普段からいつも街の人たちが公園代わりに使うような桜並木もつくりたいと思っています。街の人たちが、自分たちの街をいつも見ているということが、避難のために有効なことだろうと考えられます。
[注2] Fisherman's Wharf
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコにある観光地。「漁師の波止場」の名の通り19世紀以来の漁港で、現在は多くのレストランが建ち並び、さまざまなイベントが開かれる。
[注3] 橋上市場は、岩手県釜石市の大渡橋に並行するかたちで1958年に始まり、日本で唯一の橋の上に開かれた市場として観光名所となっていた。しかし2003年1月に撤去された。
[注4] 1896年(明治29年)岩手県釜石町(現・釜石市)の東方沖を震源として起こった「明治三陸地震」に伴い発生した大津波。最高38メートルもの打ち上げ高を記録し、死者は二万人を超えた。