アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
シンガポールは、街は緑の環境が整備されていて綺麗ですが、建築に入ると寒くていられないくらい冷房が効いています。冷房を猛烈に効かせることが裕福なことだと思っている節があります。私はこうした状況をものすごく無駄なエネルギーを使っていると感じますし、シンガポールの人たちはあまり省エネルギーに関心がないと思います。ただ単にエコロジー、サステイナビリティなどで点数を付けて奨励するだけなのです。建築自体も中と外がはっきり分けられていますし、そういう点ではあまりよいとは思いません。
私は以前、シンガポールで「VivoCity(2006年)」というショッピングセンターをつくりました。これは海に近く、上から海を眺められる、三層程度のショッピングセンターです。平面的には結構広がりのあるものです。そしてせっかく海の近くなのに海に近付けないので、最上階に屋上庭園をつくり、子どもが遊べるようにそこに水を配置したのです。
シンガポールの人たちには、屋上庭園に水を配置しても、みんな冷房の効いたところにしかいないから誰も外に出てこないと言われました。しかしそれを実際につくってみたら、子どもがまず最初に飛び出してきて、水に入り出しました。そうすると親もつられて水の中に入り始めて、結構みんな外で遊ぶのです。
人間というのはかつて自然の中にいたことを思い出すと、その記憶が蘇るものだと思うのです。そのようにシンガポールをこれから変えていくことはできると思いますが、今のところは自然と都市との関係において、シンガポールが日本よりも進んでいるとは思っていません。
仮設住宅というのは、釜石市であっても気仙沼市であっても、すべて同じ仕様です。どの場所でも同じものがつくられます。それは、今の日本の行政が「公平性」をものすごく大事にしているからなのです。仮設住宅が場所によって違ってはクレームが出るので、すべて平等でなくてはならない、という原理でつくられています。この後にできる公営住宅も、基本的にはそのような不平等があってはならない。なので、均質なものをできるだけ早くたくさんつくる、という思想の下にできていくでしょう。それに異議を唱えようとしているのが、「みんなの家」なのです。
「みんなの家」は、同じものを100戸つくるつもりはまったくありません。現在、釜石市でつくろうとしているものは、商店街復興のためのもので、これは今日ご紹介した宮城野区の「みんなの家」とはまったく違います。そこに商店街の人が集まって、この商店街をもう一度どうやって復興できるかと話し合う場所です。また、今の仮設の学校の近くなど、場所によっては子どもが集まる場所もあるので、子どもの遊び場のようなものを「みんなの家」としてできないか、という提案も出されています。それはまたまったく違うものになるでしょう。仮設住宅と違って、丘の上だったらこういうもの、海の近くの漁師が集まるような場所だったらこういうもの、というふうに場所の違いによって自ずから違うものになるはずです。
さらに私ひとりがつくろうと思っているわけではなく、「帰心の会」の建築家はもちろん、若い多くの建築家の人たちにもそれをつくってもらいたいと思っています。そういうひとつの運動を起こしたいのです。なので、均質なものになるはずがないのです。先ほどのお話の宮城野区と同じで、みんなが一緒になってつくり、ここは私たちの家なのだ、と思ってくれるような特徴が出せれば、そこからできる街は必ず違ったものになるのではないでしょうか。
先日、思想家であり人類学者の中沢新一さんにお話を伺いました。中沢さんによると、私たちは「社会」という言葉を日常的に使っていますが、「社会」は一般的な言葉ではないとのことです。中沢さんは「贈与」という言葉を使われていて、贈与が行われてきた共同体を「社会」と呼ぶとおっしゃっていました。それに対して、今、世界中を覆っている市場経済の原理を中心にしてつくられている世界があります。そして市場経済の原理は、ひたすら「社会」を駆逐していく。共同体など邪魔なものにすぎず、一方的に共同体を個に分割していく方が、より効率的な経済を生み出すことができるという考え方です。それは現実に、東京やニューヨークにあてはまると思います。
私たち人間の中には、東京に住んでいてもどこかに共同体を望む気持ちが潜在しています。東北は、市場経済の原理から取り残された場所です。その分、共同体がまだ現実に露わになっている場所なのです。東北を見た時に、まだこういう場所があったんだと思いました。観光であれ、ビジネスであれ、みんな東北をどうにかしなくてはと動いています。しかし、ここが日本の他の地域と同じになってしまったら、日本の中で共同体が顕在化している場所はどこにもなくなってしまいます。
都市の中にも潜在している共同体への願望を、何とかして目に見えるかたちにしていきたいと私たちも思っています。「せんだいメディアテーク」などでは少しそういうことができたかなと思います。ですから、共同体が復活するような社会を私は望んでいます。そうは言いながら、シンガポールのタワーのプロジェクトなどは市場経済で動いている計画ですが、それでも今までよりは自然との関係をつくり出したいと考えます。東日本大震災は、私たちにとって、忘れていたことを思い出すきっかけになったと思います。ですから、「みんなの家」のような小さなプロジェクトでも、それを実際に実現してみることによって自分がどう変わるか、これからの建築をどうつくっていこうか、ということのアドバイスになればよいなと思っています。