アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
仙台市の東海岸の方に位置する宮城野区も、かなりの被害を受けた場所です。仮設住宅には2011年6月の初めに入居が始まりました。宮城野区では農業を営む人たちが結構な数でまとまって仮設住宅に入居したので、元からの知り合い同士の人たちが数人いました。7月頃には家の前に木を植えたり、プラントボックスを育てたりして、他の場所に比べると明るい雰囲気にはなりましたが、ここで「みんなの家」をつくることになりました。
なぜ「みんなの家」を宮城野区につくることになったかと言いますと、熊本県でくまもとアートポリス[注5]というプロジェクトのコミッショナーを私が務めているのがきっかけです。5月の連休明けの頃にくまもとアートポリスの打合せで、「みんなの家」というプロジェクトを考えているのですが、協力してもらえませんか、とお願いしました。すると熊本県知事から、「それはすごくよい話だから、県で材木を提供しましょう」とおっしゃっていただき、資金も出していただきました。それに私たちコミッショナーとアドバイザーがもらっている謝金も資金に加えて、「みんなの家」は実現することになりました。ただ、熊本県は宮城県と関係が深いので、被災地の中でも宮城県のどこかでやってほしい、という条件が付き、宮城野区が選ばれたわけです。
今回、「みんなの家」は、三つの目標を掲げてつくりました。ひとつ目は先ほどお話しましたように、仮設住宅に住んでいて、集まる場所がないために砂利道で立ち話するしかないという人たちが、一緒にご飯を食べられたり、一緒にお酒が飲めたり、話し合いができる、そういう心温まる場所であること。ふたつ目は、それをみんなで一緒になってつくること。三つ目はこれから自分たちの街をつくっていかなくてはならない、そういう話し合いの拠点になること。
ですから、まず仮設住宅に住み始めた人たちのところへ行って、本当に10坪程度の小さな家ですが、どういう風につくってほしいか、という話を聞いてから、設計に入りました。なかなかそうは言っても、最初は皆さん黙ってしまいます。けれども、二時間くらい話していると、次第に薪のストーブがあるとよい、縁側があったらありがたい、というような断片的な希望が出てきます。そういう意志を汲みながら設計を始めました。
二回目に模型を持っていった時には、自治会長の皆さんに案を見せたら非常に喜んでくれ、「こういうものができたら非常にありがたい」と楽しみにしてくれるようになりました2011年7月末から8月にかけて図面を引いて、9月に着工しました。
既存の集会場もあり、そちらの方が「みんなの家」より大きいのですが、既存の集会場は自治会が集会をするためだけの施設であって、なかなかここに入っていき、気軽に話をするような場所ではありません。そこで、既存の集会所もうまく使えるように、幅の広い縁側で「みんなの家」とつなぎました。さらに十数人で食べられる大きなテーブルや、薪のストーブ、そして熊本県から提供された畳を使って置き畳を敷き、こたつを置けるようにしました。3×4間という本当に小さなものです。
熊本県から材木が提供され、プレカットされて仮留めした後に仙台市に送られました。家具の材料も熊本県でカットしてくれ、すべて学生たちのボランティアによってつくられました。三万円のストーブは冬にはかなり役に立ちました。私たちが使わなくなった家具を送ろうとしていると、私の家の近所の人たちが食器まで提供してくれました。もちろんメーカーの人たちも、ガラスや、照明器具や、屋根材など、さまざまなものを提供してくれました。そうやって、本当にみんなが協力し合ってこの家ができたわけです。
私は上棟の時には行けませんでしたが、住民の人たちが自主的に餅まきをしたいと言い始めたことがとても印象的でした。かつて田舎では、誰かが家を建てて棟上げするとなると餅をまいたのです。住民の人たちも、20年くらい餅まきをしたことがなかったけれども、今回是非やってみたい、ということでした。
かつて村で誰かが家をつくる時には、みんなが手助けし、上棟や地鎮祭の時はお祝いをする、まさしく「みんなの家」でした。現代の都市部では考えられないようなことが、今でもここでは自然に起こってきたことがとても面白いと思います。そして、私の事務所のスタッフや学生たちが現場で働いていると、住民のおばあさんたちがご飯やおやつをつくって持ってきてくれたりする。そうやって、みんなが一緒になってつくる風景が見られました。
竣工してオープニングの日には、住民の人たちが芋煮会を開いてくれて、みんなでそれをいただきました。お酒を飲んでいるうちに、住民のおじさんやおばさんたちが泣き出してしまい、「明かりが温かくてありがたい」、「木の香りが嬉しい」ということを言ってくれました。その後も、この人たちは「家にいる時間よりも『みんなの家』にいる時間の方が長いんだよ」と言ってくれます。
住民の人たちがいつの間にか家の庭先に花を植えて、自分たちの家、みんなの家、という言葉通りの家になってきています。震災後、気分が落ち込んで、仮設住宅に移ってからなかなか外に出てこなかった住民の人たちも、「みんなの家」が建てられた後ずいぶん明るくなったように感じます。
[注5] 都市環境・建築文化などの向上のために、熊本県が推進している事業。
コミッショナーが国の内外から推薦した設計者を参加事業主に紹介する事業や各種イベント、広報事業や「くまもとアートポリス推進賞」の表彰などを行う。