アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
1995年に阪神・淡路大震災が起こって、そこで何かしたいと、皆さんも思われたと思います。でもどこに行って何をすればよいか分からないほどの大混乱でした。そんな時、神戸市長長田区の鷹取教会に日本政府が初めて受け入れたベトナム難民の人たちが信者として通っている、という新聞記事をたまたま読みました。僕もちょうど国連で難民のために仕事を始めたところでしたから、被災地ではマイノリティの外国人は日本人以上に大変な思いをしているだろうと考え、とにかく鷹取教会に行ってみることにしました。
鷹取に着くと、一面焼け野原でした。鷹取教会の建物も焼けて全壊してしまって、皆が外で焚き火を囲んでミサをしていました。僕はクリスチャンではないのですが、素晴らしいミサだと思いました。ミサの後に、「なんとか教会を紙で再建しましょう」と神父さんに言ったら、「火事があったのに何を言うか」と言われ、全然信用してもらえませんでした。でも諦めずに、毎週日曜の朝、新幹線の始発でミサに通っていました。
そんなことをしている問にベトナム難民の方々と親しくなって、その人たちがどんな暮らしをしているのか見にいったら、公園にプルーシートで貧しいシェルターをつくって生活していました。その頃には政府の仮設住宅が少しずつできていたのですが、神戸はあまり土地がないので、ほとんどが市外につくられました。ベトナムの人たちの多くは地元のケミカルシューズ工場で働いていたので、郊外に移ってしまうと仕事を失うことになるのです。ですから、たとえ非衛生的なシェルターでも彼らはそこに住み続けたいと思っていました。でも、近隣の人たちはこの公園がだんだんスラム化するのを恐れて、この人たちを追い出しにかかったのです。なんとかして留まりたいということで、もっと衛生的な、計画された仮設住宅にすれば受け入れられるのではないかと思い、紙管を使った仮設住宅「紙のログハウス(2005年)」の建設を始めました。
直径10センチ、厚み4ミリの紙管に、解体しやすいように基礎はビールケースを使いました。色のコーディネートを考えて、ケースが黄色だったキリンビールにお願いしました。僕らボランティアは、ピールが入ったケースが届くのではないかと期待していたので、空のケースが届いた時には非常にがっかりしたことは今でも忘れられません(笑)。ピールの代わりに砂袋を詰めて、台嵐がきても大丈夫なような基礎をつくりました。テントも二重にして、冬は妻面を閉めて暖かい空気を逃がさないようにし、夏は開けて換気できるようにしました。