アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
先ほど申し上げた「これからの図書館は人がいろいろと入り混じるのがよい」と考えるに至ったきっかけをお話ししたいと思います。
「せんだいメディアテーク」コンペ案。
私が早稲田大学に私が戻って間もない1995年に応募した「せんだいメディアテーク」のコンペ案です。ご存知の通り、今では伊東豊雄さんの美しい建物が建っていますが、私たちの案は次点でした。審査委員長の磯崎新さんからは「ここに新しい市立図書館、市民ギャラリー、メディアセンター、といった諸機能をひとつの建物の中につくります。『メディアテーク』という名前の新しいアーキタイプを、現代の発達したコンピュータや通信技術を用いて考えなさい」というメッセージがありました。そこで考えたのは、これからデジタル技術が発達していくと、本はインターネットで読めるし、買いたくなったらダウンロードすればよいという時代が早晩来るので、事実今日ではそれが現実となっていますが、だとしたらもう図書館なんていらないのかというとそうでもないだろう。すべてがインターネット上で事足りるようになったとしても、直接図書館に出かけていって生身の人間同士が出会って、それによって新しい自分の世界が切り開かれるというチャンスは絶対必要であると考えました。逆に、自分の思いもよらなかったものに出合うということは、インターネットではなかなか難しいのではないでしょうか。たとえば、アマゾンでとある本を買うと、おすすめ本として自分の好きそうな本が出てきますが、逆に自分がまったく関わったことのないような本は絶対に出てこないのです。つまり、何を見付けたいかがはっきりしている人にとって、それを探すにはインターネットは非常に役立つのですが、一体全体自分は何が好きなのか分からないような人にとって、まだよく分かっていないようなものに偶然出会うという経験は、生身の世界でしか起こり得ないものなのだと思ったのです。
そうすると、情報技術が発達すれば発達するほど、みんなが偶然出会うリアルな図書館という空間が非常に大事になると思うのです。本を読んでいたけれど、偶然隣でやっている展覧会に気が行ってしまったり、ちょうどパフォーマンスに出くわして観に行ったり、予期していなかったようなものに遭遇する仕組みをつくるためには、機能をみじん切りにしてルービックキューブのようにシャッフルしてしまうのがいちばんよいのではないか、というのが私たちの提案でした。どの階にも本棚があり、自分の好きな本を借りたら、そこからどこに持っていっても構わない、ギャラリーやテラスに持っていってもよいし、前面の定禅寺通りの並木に持っていっても、自宅に持って帰ってもよい。そこまでは審査員の方がたの反応はよかったのですが、「読み終わったらその近くにある本棚に返してよい」と言った途端、そうしたらいったい誰がその本を元に戻すのだと言わんばかりに、険しくなってしまいました。私の考えでは、その自由に返された本はそのまま置きっぱなしでよくて、次第にこの場所を気に入った人たちがひとつの場所に本を集めてきて、この本棚にはいろいろな本が混ぜこぜになっていき、だからこそ、ある本を探しにいった時に、全然違う本が横に並んでいて、そこで偶然の出会いが発生するのだと考えていたのです。普通の図書館であれば、建築の本棚には建築の本だけ、料理の本棚には料理の本だけが並んでいますが、ここでは何となくみんなが寄せ集めてきた本がめちゃくちゃに並んでいるのです。めちゃくちゃな中にもたったひとつだけ共通点があり、「この場所が好きだ」と感じた人たちが集めたコレクションになっているのです。それを新しいコンピュータ技術でバックアップしようという考えです。しかし、審査員の方々に「コンピュータを信頼し過ぎているのではないでしょうか。もし、停電やサーバーがダウンしてしまったら、どうするんですか」と言われ、あの時はうまく返答できずに落選してしまいました。今であれば、サーバーがダウンした時こそよい体験になるのだと主張できたように思っています。コンピュータが頼りにならなくなると、その時には自分の全五感を使って動き回り、自分で好きな本を探し出す滅多にない面白い機会になるでしょうから。それが新しいメディアテークなのです、と言えていればきっと通ったのではないでしょうかね(笑)。