アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
私の恩師である穂積信夫先生は、事務所をお持ちではありませんでした。数は多くありませんが、穂積先生の素晴らしい作品はすべて研究室で設計されたものです。まず、それがひとつ大きく教わったことだと思っています。つまり、学生といろいろな議論をしながら、その中から生まれたものを穂積先生がプロフェッショナルの建築家として、実際の建築のかたちに置き換えていくというプロセスを教わりました。それから、穂積先生はたいへんな教育者でありまして、早稲田大学で言いますと今井兼次先生(1895~1987年)に繋がるヒューマニズムの考え方をお持ちで、僕はそれに強い影響を受けていると思います。
それから、マリオ・ボッタについてですが、私は助手時代から長くカルロ・スカルパ(1905~1978年)の研究をしていたので、本当はスカルパが生きていれば彼の事務所へ行っていたかもしれません。ですが、当時もうスカルパは亡くなってしまっていたので、マリオ・ボッタはヴェネツィア建築大学のスカルパの教え子であるということもあり、彼の事務所を選びました。非常に面白かったのが、スイスというかなり保守的な土地柄の中で、ほとんど彼ひとりだけが新しいものを受け入れることができていたということです。なぜそんなスイスでマリオ・ボッタの新しい建築だけが許容されているのかというと、スイスの風土から建ち上がっていた民家と、どことなく通じ合っている部分があったからなのです。何か共通に懐かしいと思える部分があるのでしょうね。また、彼は単純素朴な方で、事務所ではさまざまな国の人がいて、いろいろな言語で喋っているのですが、彼の評価することはある三つの事柄だけだったのです。イタリア語で言うと、semplice(シンプル)、forte(力強い)、bello(美しい)の三つしかなく、われわれのエスキスではこの三つが出ればオッケーでした。逆にその三つが出るまでは粘らなければいけないのですが、単純で、同時に力強くて、かつ美しい、ということは一見ぶっきらぼうに感じますが、建築の本質を表しています。ごちゃごちゃした細かい何かが行き届いているということよりも、その環境の中にあって素朴で単純にそこに馴染んでいて、力強く建っているということの価値を教わったように思います。