アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
右)「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」
左)東海道五十三次庄野白雨」どちらも、歌川広重による。
ゴッホが模写した「名所江戸百景大はしあしたの夕立。」
同じく2000年に竣工した「馬頭町広重美術館(2000年)」です。ここでは歌川広重の描く雨の粒っぽさを表現したいと思いました。雨を粒っぽく描くという画法は、日本では当たり前ですが、西洋絵画ではとても珍しいことです。広重のほぼ同時代に、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775〜1851年)やジョン・コンスタブル(1776〜1837年)といったイギリスの風景画家が風景画というジャンルを確立しますが、彼らの描く雨は、もやっとしている。雨を粒っぽく描くのは、日本的センスと言えるかもしれません。
実は、西洋にも広重の画法に大変な影響を受けた人がいます。フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890年)です。ゴッホは広重の浮世絵の影響を強く受けて、粒っぽく描くことを始めます。正確に言うと、同じく印象派のジョルジュ・スーラ(1859〜1891年)がゴッホより早く、粒子的な点描画法を始めているのですが、ゴッホがスーラの粒子を展開します。
「馬頭町広重美術館」で考えたのは、木の粒です。これは30×60ミリという断面形状を持つスギ材を120ミリピッチで規則正しく並べています。どのくらいの寸法で、どのくらいのピッチで配置していくと粒っぽさが感じられるか。そのことを考え抜いたプロジェクトでした。粒を扱う時は、粒の間隔や大きさが非常に重要になります。これはおそらく生物の原則でもあると思うのですが、その環境にあった大きさの粒だけがその環境で生存できるのです。
「馬頭町広重美術館」の後にも、木のルーバーを用いたプロジェクトにいくつか挑戦しています。たとえば「ONE表参道(2003年)」という表参道にあるルイ・ヴィトンの東京本社のプロジェクトでは、もっとルーバーのサイズを大きくしています。「馬頭町広重美術」のような小さなルーバーでは、表参道の雑然とした粗っぽい粒たちに負けてしまうと感じました。表参道という環境では、「馬頭町広重美術館」の粒より大きい粒でないと生きていかれない。このように、生物にはその環境にあった粒の大きさがあるのではないかと、この頃から考え始めました。
また、ルーバーの粒と構造住の関係性も重要です。柱がルーバーに比較して太いと、その柱自体が主張して、せっかくルーバーを繊細につくっても、その繊細さが生きてきません。「馬頭町広重美術館」では鋼管ではなく無垢材の鋼柱とし、また、構造壁を別に設けることで、鋼柱は鉛直荷重だけ支える柱とし、ぎりぎりまで細くしています。最終的に、柱の見付けが75ミリまで細くなりました。30ミリのルーバーと75ミリの柱なら、なんとか同じ仲間に見えます。
その「同じ仲間に見える」というのが、「キノコ」的なるものの本質です。構造や器官がなく、一種類の粒子がキノコの全体を構成します。その粒子の均一性は、今の建築の大きな流れでもあると、私の友人であるアメリカの建築評論家のジェフリー・キプニスは言います。別種のスキンと対比させたり、それを用いてコンポジションを行うのではなく、ひとつの粒子で屋根や壁まで、全体をラップするという手法に、キプニスは現代を見ています。
左)アプローチを見る。鉄骨柱を可能な限り細くしている。
右)馬頭町広重美術館」北側軒下を見通す。