アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
本日は、私の考える「キノコ」的なるものを、さまざまな事例からアプローチしてお話しました。「キノコ」的なるものの、粒っぽさやヒエラルキー構造ではないところに興味があるとお話しましたが、本当の面白さは、人間が自分で自分の空間を操作できるというところにあると思います。これを私は、空間の民主主義と呼んでいます。
コンクリートは一度打ってしまうと最後、変えることができません。キノコのように粒子に分解できるものは、ひとつひとつの粒子を人間の手で操作できるので、後からでもいろいろ変えることが可能であり、空間だけではなく、時間にも人間が介入できるのです。
キノコ的建築は建築として完結していなくてもよいと思います。たとえば、粒がひとつふたつ集まって、家具のような断片的なものができますが、そんな、「小数点としての建築」もつくることができる、ということではないでしょうか。建築というのは普通、建築がない状態が0(ゼロ)、建築がある状態が1(イチ)と考えます。その中できっと、0.1や0.01の建築もあるはずだと思うんですね。
私は一時期、建築をマイナスにしよう、ということを考えており、建築を土に埋めるようなことにも挑戦していました。それは、建築1、に対してマイナス1の建築をつくるということです。消える建築は0の建築です。そう考えると、もしかしたらマイナス0.1やマイナス0.01の建築というものもあるかもしれません。
このように建築の定義を1か0かマイナス1か、だけで考えるのではなく、もっとさまざまな小数点的で繊細な状態の建築の可能性を考えると、気分が開けてきます。都市も変わるかもしれません。それを可能とするのが「キノコ」的なるものではないかと、いろいろな手法で実験を繰り返しているのです。