アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
建築家は請負業者なのか私たちはいったい誰のために設計しているのでしょうか。施主のためというのは当然です。施主は自治体であったり、民間企業であったり、個人であったりしますが、でも、私たちはそうした発注者のためだけに設計をしているのでしょうか。そう問われると、おそらくほとんどの人は「そうではない」と答えると思います。たとえばマンションを設計する場合、そのマンションのディベロッパーの利潤だけを考えるのか、それともそこに住む人たちのことを考えるのか、あるいは周辺に住んでいる人たちのことを考えるのか。私たちは常にそういつたさまざまなファクターの中で建築を考えているのです。憲法学者の木村草太さんは、建築家は文化専門職であるべきだとおっしゃっています。文化専門職とは、発注者に対して自分の意思に基づいた見解を述ベることのできる図書館司書や大学教授といった職業のことを言うそうです。
ところが私たちの建築を巡る多くの環境において、建築家は「発注者(施主)の命令にしたがって建築をつくる技術者である」と認識されています。建築基準法や建築土法に書かれている内容の根本はそこにあると思います。思想は設計者にあるのではなく発注者にあり、設計者は発注者の思想に基づいて仕事をする技術者なのだと。発注者とのこのような関係を請負と言います。最近、東京高等裁判所が「建築の設計契約は請負契約である」という判決を下しました[注2]。つまり「建築の設計者は請負業者である」と世間に広く認知されているのです。
現在、建築家は請負業者の立場にますます追い詰められています。これはわれわれ建築の設計に携わる者として非常に不愉快な状況ではないでしょうか。建築家は建築をつくる時に、施主の利益だけではなく、地域社会の利益や、実際にそこに住む人たちの利益をどのように守るのかということを考えます。しかし社会からはそう思われていないのです。私たちは建築のつくり方について根本的にどこかを間違えていたのです。
建築家が単なる技術者であると認知されている問題と、景観の問題は実は非常に大きな関係があると恩います。景観を考えるということは、建築の周辺への影響を考えることに等しいと思います。しかし建築家は景観に対して責任を持たされていません。与えられた敷地の中だけで建築を考えていればよい、と考えられているのが現状です。景観について考えることは、私たちの立場を変えるチャンスになるのではないでしょうか。
半年ほど前、国土交通省の景観委員会の基調講演でこのような話をしました。今日はその話をもう一度しようと思います。学生に話すような内容になつてしまうかもしれませんが、聞いて下さい。
[注2] 住宅の実施設計に基づいて見積もられた工事額が予定を大きく超過したとして、実施設計までに支払った報酬を賠償するよう建主が設計者を相手取り提訴、設計者も残りの報酬の支払いを求めて反訴した裁判。一審で東京地方裁判所は設計者側に賠償を命ずる判決を下し、設計者は控訴した。2009年4月、東京高等裁判所はこの控訴を棄却、判決文に「一般に建築設計契約は請負契約と解される」と明記した。