アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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山本理顕 - 「地域社会圏」という考え方
私たちの意識は
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2009 東西アスファルト事業協同組合講演会

「地域社会圏」という考え方

山本理顕RIKEN YAMAMOTO


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私たちの意識は

「一住宅一家族」はひとつのパッケージ商品としてかなり完成度の高い商品です。玄関のドアをガチャンと閉めてしまえば、住宅は完全にプライバシーの守られた場所になります。1970年代から住宅はマンションというかたちでパッケージ商品として売られ、住戸の内側だけが商品になっていきました。それは戸建ての住宅でも同じです。敷地の内側だけを購入しているという意識が強くて、周辺の環境に対してほとんど無自覚になっています。環境や景観と無関係に住むということは、非常に不幸なことです。 2001年に不動産証券化が運用されて以降、住宅は住む人のためではなく、投資家の投資意欲を刺激するようにつくられています。超高層のマンションが証券化されて、投資家のためにつくられます。それがディベロッパーの資金になるわけですよね。彼らはそのマンションについてどれだけ利潤が多いかということしか考えていない。そこに住む人のことはほとんど考えられていません。

このような住宅のつくり方の中では、景観に対する意識はほとんど失われています。東京はまさにそういう都市になっています。建築の内側だけが私たちの住む場所であるという考え方であり、建築家もそのような住宅をつくってきた結果、現在のような風景ができているのです。

でも私はこのようなシステムは破綻すると思います。

日本は2015年には四人に一人が65歳以上になります。2025年には生産年齢人口の二人が一人の高齢者を支えるようになるそうです。合計特殊出生率は今は約1.37です。二人の親から2.1人の子どもが生まれると、現在の人口が維持できます。それに対して1.37人しか生まれていません。

2005年の東京の世帯人員は一人住まいが全体の42.5% です。単純に言えば一人住まいが一番多い。これはとても恐ろしいことです。標準家族のための住宅を供給していたはずが、現在はそこに一人で住んでいるのです。こうした状況で「一住宅一家族」を本当にこれからも続けていってよいものなのでしょうか。

社会を「S」、「M」、「L」という三つのスケールを持った集団として考えたとします。「S」集団は最小単位の家族集団、「M」集団は地域社会、「L」集団は国家によって管理される単位です。すると現在の私たちには「M」がありません。「S」集団の標準化が不完全になった現在では、「S」と「L」だけの社会で生活していくのは無理だと思います。

現在「S」集団には家族しかあてはまらないでしょう。しかし一人で住んでいることを家族と言えるのでしょうか。あるいは老夫婦だけで暮らしているのを家族と言えるのでしょうか。家族は多様化していると言いつつ、みんな相変わらず家族を装っているではありませんか。一人であろうと、二人であろうと、家族のフリをしないと「S」にならない。どんなかたちの家庭も標準的な家族を演じながら住まなければならない。それはあまりにも個人個人に負担がかかりすぎです。

「S」集団のかたちは家族以外にもさまざまに考えられるのだと思います。「M」集団も同様です。建築家にはそういうものを考える想像力が必要です。もし「S」と「M」という集団があることを前提にして地域の運営を考えていくならば、現状とはかなり違う社会になっていくのではないでしょうか。それが「地域社会圏」について考えていくことなのだと思いますし、住宅のひとつひとつをつくる時にも考えるべきではないかと思います。

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