アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
私たちは現在、生活のすべてを住宅の内側だけで処理することを強いられています。しかしそれは既に不可能になりました。本当は周辺のさまざまなサポートがなければ生きられないはずなのです。にもかかわらず、いまだに閉鎖的な住宅がつくられ続けているのは、私たちにプライバシーに対する異常な執着があるからです。「パンギョ・ハウジング」のような住宅は、現状ではなかなか実現できません。住宅にプライバシーがないと思われてしまうからです。
なぜ、私たちはこれほどプライバシーに敏感になってしまったのでしょうか。戦後60余年の間に、プライバシーがいかに重要か、標準であることがいかに重要かということを、私たちは徹底して教育されてきました。「私たちは教育(Discipline)されることによって、知らないうちに進んで自らを標準的な人間に変えていくようにしむけられている」とミシェルフーコーは『監獄の誕生』で述べています[注4]。私たちがここまでプライバシーに執着するようになったのは、「一住宅一家族」の住宅や学校がそういった近代的な装置の役割を果たしてきたからだと思います。
はたして住宅にプライバシーが必要なのか、私は相当に疑問に思っています。私が集落の写真をお見せしたのは、住宅がプライバシーを守るためにつくられているのではなくて、「大きな共同体」との関係性を持つためにつくられているということをお見せしたかったからです。本当は私たちも、集落の住宅と同じようなかたちでなければ暮らしていけないはずなのです。敷地の内側だけが建築なのだという考え方ではなくて、建築によってどのように地域社会と接続できるかを考えること。これは私たちに課せられた宿題です。私の作品は、それに対する回答のひとつです。住宅を単にガラス張りにすればよいとは思わないし、それが唯一の正解だとも思いません。
お見せしたいろいろな集落の例は、近代化される以前の住み方です。そこでの子どもたちは「大きな共同体」の中に「小さな共同体」がある、そういう環境に生まれ成長します。それは現在の日本では不可能だと思います。
では私たちが「大きな共同体」を再構築できるのかと言うと、現在の「一住宅一家族」のような住宅のつくり方をしている限り、無理だと思います。相変わらず女性たちが、家の中でハウスキーパーの役割を担っていることが前提になっているからです。それが家族の美徳だと思っている人が現在でもたくさんいます。家族という「小さな共同体」が外部に対して閉じていて、その中で女性が中心になって自己管理をしていく。社会がそういうつくられ方をしている限りは、「大きな共同体」をつくるチャンスはまずないと思います。
しかし、「小さな共同体」であるべき家族が崩壊してしまい、東京の世帯の42.5%が一人住まいである現在、「一住宅一家族」の住み方はもう耐えがたいものになっていると思うのです。一人住まいの高齢者や、子どもを一人だけで抱えている女性といった人たちは、耐えがたい生活のままに放置されています。独居死していく人の数は、現在ますます増えています。このような状況をなくすためには、やはり「大きな共同体」的な枠組みをどこかで構築する必要があります。もし可能性があるとすれば、それは意思の問題であると思うのです。私は、高齢者の介護や育児、あるいはエネルギー問題をどう解決していくかという意思が、「大きな共同体」的なものを構築するためのキーファクターではないかという気がしています。
保育園に通っている子どもたちの母親が、子どもの世話を手の空いている母親同士で分け合うというように、女性はテンポラリーな共同体をつくるでしょう。それは子どもたちが成長したらやがて消滅してしまうのですが、そういうことは実際に行われています。なかなか見えてこないのですが、ご家族一住宅」では処理しきれないことを、女性はその都度その都度に「大きな共同体」をつくり出して対処しています。
そういうものがどうやったら探し出せるのか、私にもよく分かりません。しかし、何らかのかたちでそれをつくっていくのが私たち建築家の責任だと思います。建築家は、空間として提案できるからです。「大きな共同体」の必要性は、理解してもらうことがなかなか難しいのですが、建築家が形を見せると、多くの人が、「ああこんなことができるのか」と思うのではないでしょうか。何か空間的にそういうモデルを見せられないか、というのが現在私の考えていることです。
ドラゴン・リリーさんの家は確かに少し変わっていますが、住んでいる人は別に変わった方たちではありません。私は家の中が外部に現れていく住み方がそれほど特異ではないと思っています。
「東雲キャナルコートCODAN1街区」のガラス張りの玄関に住んでいる方のCDや本が、特にそれらが高価なものでなくても玄関にディスプレイされているのを見ていると、誰しも自分が何者であるかを周囲に発信したいという欲求を持っているように感じます。住むという行為にはプライバシーが求められる一方で、周辺と何らかのかたちで接続する機会も求められているのではないでしょうか。現在の一般的な住宅のつくり方は、それを阻害してはいないでしょうか。
「東雲キャナルコートCODAN1街区」に住んでいる方の中には、玄関に黒いカッティングシートを貼って住戸の内部を完全に覆い隠してしまう人もいます。生活を外部から隠すこともその人の自由です。しかし、私は住宅を供給する側として生活を外へ開いていける可能性を残しておきたい。少なくとも、外との関係性を壊してしまうようなつくり方はしない方がよいと思います。
邑楽町で裁判を起こすことになったり、小田原でも私たちの案がキャンセルされつつありますが[注5]、日本の社会ではものをつくる人に対して敬意を払うという意識がどこかで歪んでいるのではないかと思います。ものやづくりに対する一種の偏見があるように思います。
人から職人と言われるのは、嬉しいことなのでしょうか。私は職人という言葉に、ひそかに差別意識が埋め込まれていると思います。それはものやづくりに対する差別意識とも言えます。職人という言葉には、高度な技術への期待が込められているけれども、社会性、つまり社会に対する思想は期待されていません。
それはずっと長い間、日本という国のシステムがつくってきたものです。たとえば城をつくるということになれば、普請をする奉行、つまり役人が城を設計してきたわけです。そして業者がそれを請け負ってつくってきました。どんなによい腕の業者でも、役人の命令に従いつつものをつくるということが江戸時代から長い間続いてきました。
これは明治になっても同じでした。日本人は外国からお雇い建築家を呼んで技術を習いました。技術という言葉は不思議です。剰窃自由で、誰でも使ってよいという感じがします。たとえすごい発明だったとしても、多くの人はそれを誰でも再利用してよいと思っています。技術者というのは、言わば透明な存在というわけです。
行政や発注者には、自分たちの思想を実現するために技術者がいるという意識があります。日本の公共建築では、建築家に何らかの思想と共に発注するということは、まずあり得ません。マンションのディベロッパーも、自分たちでほとんど設計をしてしまいます。そうした意識がたぶん技術者という言葉に埋め込まれているような気がします。
だから、私たちは公共建築をつくる時に技術者にされているのです。発注者は、建築家を思想を持った人として扱っていません。私は、建築家とは自らの責任において建物をつくる職業であると思っています。その代わりに責任も問われるのですが、日本ではその責任を取らせてもらえません。現場においても、設計においても、技術者たちの思想によって建築ができ上がっているという見方が、日本では非常に乏しいと思います。
これについては日本は非常な後進国であると思います。台湾や韓国、マレーシアや中国の発注者は、確かによくない所もたくさんありますが、彼らの建築家に対する期待や敬意は、日本の行政や民間の人たちよりもはるかに洗練されています。
これからは建築業界の構造そのものを考えていかないと、本当に厳しいと思います。どういうタイミングでどうしたらよいかは私にも分かりませんが、何らかのかたちで、建築家、設計者というのはこういうことをやっているという、メッセージを伝えていくことが必要だと思います。
[注4]『監獄の誕生ー監視と処罰』ミシェル・フーコー著、田村淑訳、新潮社刊
[注5]2005年12月に神奈川県小田原市の行った「城下町ホール」(仮称)の公開設計競技で山本理顕設計工場が最優秀に選ばれたが、実施設計終了後、新市長が計画を白紙撤回した。