アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
国家が国民を管理するシステムとして、ご住宅一家族」は非常に好都合なシステムです。ひとつの住宅にひとつの家族が住むことによって、家族は標準化されていきます。隣も同じ家族講成、私も、上の人も同じような家族というように、すべての家族が標準化されていく。すると、国家が非常に管理しやすい社会ができ上がります。
中野隆生さんというフランス近代史の研究者が書いた『プラーグ街の住民たち』[注3]には興味深いことが書いてあります。
フランスで1848年に2月革命が起こり、その後のナポレオン三世の登場でパリは近代都市に生まれ変わっていきました。2月革命は「宴会革命」とも呼ばれていて、当時の市民は大勢の人びとが集まる場所で宴会のように反政府集会を開いていたそうです。2月革命は、その集会を禁止したことが発端です。
その後、どのように住宅をつくるべきかが間題となり、ふたつの案が考案されました。一方は各家庭をばらばらに住まわせるご住宅一家族」の案。もう一方は住民を一カ所に集め、徹庇的な管理の下に住まわせるという案でした。プラーグ街という労働者団地では「一住宅一家族」の集合住宅が建設されました。2月革命のような反政府運動が二度と起こらないように、労働者の住宅は「一住宅一家族」で相互にあまり接触のない住み方のものになりました。
こうした経緯を経て、都市に生活する人たちはそれぞれの家庭でばらばらに住むようになつた、というのが中野さんの主張です。私は1920年代の建築家たちがこうした流れを決定的なものにしたと思います。男性は外で働き、女性は住宅の中で家事を任されるという形式も1920年代にほぼ完成していました。
「アテネ憲章」が採択された1933年はナチスが政権を獲つた年でもあります。ナチスは当時「優生法」という法律をつくり、劣性遺怯子を持つているとされた人たちが子どもを産めないようにしていました。劣性遺伝子を排除することで、国民を標準化することが目的でした。ナチスだけでなくこのころのアメリカやヨーロッパのいくつかの国も同様の政策を取っていました。「一住宅一家族」住宅の発明、劣性遺伝子の排除は、家族の標準化という同じ理念のふたつの側面です。
[注3] 『プラーグ街の住民たちフランス近代の住宅・民衆・国家(歴史のフロンティア)』中野隆生著、山川出版社刊