アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
石巻市に1999年に私がつくった「北上川・運河交流館 水の洞窟(1999年)」は、北上川沿いの土手に、建物の3分の2ぐらいが土に埋まるかたちで建っています。
東日本大震災の当日、私は台湾にいました。現地のニュースで震災の映像が流れているのを見て、その事実と現場のすさまじさを知りました。石巻の街が津波で流され、建物が燃えながら流されている映像でした。とてもショックな映像でした。日本の事務所や自宅に電話をかけても、どこも通じず、私が設計したいくつかの東北の建物にも連絡を取ろうとも試みましたが、もちろん電話は通じない状況でした。「北上川・運河交流館 水の洞窟」の建っている敷地と北上川の位置を考え、もう建物は流されてしまっただろうと絶望しました。なにしろ、北上川を22キロも津波が上昇したという報道をニュースで見ていましたし、敷地は海からすぐの場所でしたから。
震災から二週間後、突然電話が通じるようになり、やっと交流館の方と連絡を取ることができました。すると、この建物は浸水の被害もなく無事だったというのです。津波が川を上がっていく際、川岸の一方にはかなりのダメージが出ますが、その対岸の被害は少ないらしい。「北上川・運河交流館 水の洞窟」では、運よく被害の少ない方の川岸が敷地だったようです。
帰国し、地震発生から三週間後の4月2日に現場を訪れました。敷地周辺は、洪水のような風景となっていました。地震により街全体の地盤が1メートル沈下した結果、水面が1メートル上昇したのです。風景としては洪水なのです。自然がいかに強大な力を持っているのか、そして、それに対して建築がいかに強く大きくても、まったく勝ち目がないことに気付きました。
大災害とは、時代の節目となり、その大きな時代の流れを転換する存在です。リスボン地震もシカゴ大火も関東大震災も、それによって時代が集約され、新しい流れが始まりました。
私が1990年代以降にやってきたことの意味が、やっと自分自身で分かったという気分です。時代の流れは震災に集約され、新しい流れの中に私たちは生きるのです。