アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
プルーノ・タウト(1880〜1938年)という建築家をご存知でしょうか。
プルーノ・タウトはドイツの建築家で、1933年に来日しました。1933年と言うと、世界ではナチスが政権を取り、前年には日本で五・一五事件が起きています。日本が変わり、戦争へと流れていく激動の時代ですね。そんな折に、タウトが来日し、日本の職人たちと ー 特に東北の職人たちと一緒になって ー 小物をたくさんデザインしました。タウトは三年間しか日本にいませんでしたが、その三年間で数百点もの小物をデザインしています。このエネルギーはすごいですよね。私の父親は、1909年生まれなのですが、まだ20代で、このタウトのデザインした小物を、当時銀座七丁目にあった「ミラテス」というお店で購入しています。それを父はとても大事にしていて、今は私が譲り受けて宝物にしています。
タウトは、小さいもの、柔らかいもの、そして自然に対して非常に感性のある人でした。有名な話ですが、タウトは桂離宮を訪れ、そこで非常に感激し、インスピレーションを受け、熱海の「旧・日向別邸(1936年)」をつくりました。写真で見ると、なんでもない家に見えますが、実際に訪れるとすごくおもしろい家です。いろんな細かい仕掛けが施されている。たとえば、全開する窓は、ドイツから折り戸用の特別な金物を取り寄せてつくったようです。また、内部には段差が設けられており、レベルの違いによってそこから見える海が、違う存在に感じられる仕組みとなっています。天井はキリの板で仕上げてあり、その板の形には四角ではなく台形が用いられ、パースが効いて距離を錯覚させるようにデザインされています。一枚一枚の板を微妙に台形につくるなんて、感激ですよね。
この「旧・日向別邸」自身も、そもそも外から見えない不思議な場所に建てられています。実は私の設計した「水/ガラス(1995年)」という建物がこの「旧・日向別邸」の一軒隣にあり、設計途中に、庭の下の地下がタウト設計であることを知りました。こんなところにタウトがいたんだ、と驚いたものです。
タウトは、そういう意味で言うと、だいぶ早い段階に、小さく柔らかいものに感動し、その魅力に気が付いていたのですが、当時の日本では、「旧・日向別邸」はあまりうけなかったのが実際のところです。1936年竣工ですから、その頃の日本は関東大震災の後で強く大きい建築を建てようと奮闘している時期です。そういった小さく柔らかいものがうけるわけもなく、タウトはがっくりして、日本を離れ、イスタンプールへと旅立ちました。