アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
災害は、それまでの大きな流れの変化を象徴するひとつの出来事ですから、やはりその変化は災害以前から少しずつ始まっています。リスボン地震の時も、少し前から変化は始まっていたけれども、リスボン地震が起こってその流れが一気に盛り上がったというような感じでした。
私の場合も、今回の東日本大震災以前から小さな建築には興味があって、それが震災をきっかけにして、やっぱりそうなんだ、間違ってなかったんだ、と自分の考えに確証を得始めてきたような感じです。ですから、本日お話したような、小ささ、柔らかさを意識した作品は、振り返ってみると、2000年くらいから増えてきたような気がします。バブルの頃は、大きい建築をばんばん建てるような時代だったのが、1990年代にバブルがはじけ、そのあたりから日本人の気持ちというのは小さいものや、地味なものへと動き始めたのではないかと思います。
とてもよい質問ですね。近代建築では、ガラスがよいと考えられてきました。モダニズム建築というのは、それまでの石の重厚な建築に対して、ガラスを用いることで内部と外部が近い空間をつくってきました。しかし、ガラス自身もそんなに自由な素材ではないことに、私たちは気付きつつあります。20世紀初頭の近代建築で気付かなかった、21世紀的な課題なのだと思います。
その課題に対する答えは、ガラスに代わる材料探しかもしれないし、ガラスの開閉方法の探求かもしれない。先ほどご紹介したタウトの「旧・日向別邸」では、折れ戸状になっている開口が用いられ、全開することができるのです。タウトはこのドアの金物をわざわざドイツから取り寄せたのですが、そういった解消方法もありますね。
今回ご紹介しなかった作品で、「福崎空中広場(2005年)」という、ビニールカーテンでつくったオフィスがあります。ビニールカーテンは、よく工場や倉庫の入口にのれんのようにかけられているのを目にするかと思いますが、実際は、あの程度の内部と外部の遮蔽で十分だという場合が多いのです。ビニールカーテンは建築材料ではないと見なされがちですが、本当はとてもおもしろい。建築の素材から攻めて、ガラスに代わる存在を探すという方法には、とても可能性があると思っています。建築のイメージが変わるかもしれない。もっともっと、そういった部分に挑戦したいですね。